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「アイロニストとは以下の 3 つの条件を満たす者であると定義してみよう。(1)自分がいま現在使っている終極の語彙(final vocabulary)を徹底的に疑い、たえず疑問に思っている。〔……〕(2)自分がいま現在使っている語彙で述べられた論証は、これらの疑いを支持することも解消することもできないと理解している。(3)みずからの状況について哲学的に思考するかぎり、自分の語彙の方が他の語彙よりも実在に近いと考えてはいない。」p. 32

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そうか。真理は存在しないから、自らの歴史的位置の偶然性を認めた上で、自文化中心主義を採用する他に道はないという話になるのか。また偶然性を認めることは同時にアイロニストであり続けようとすることでもあると。ゆえにリベラリズムなのだと。

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「天動説が与えてくれる説明よりも、現代の天文学が与えてくれる知識の方がより多くの利点があるということなのであり、われわれの方が、過去の人々よりもより「実在に近い」かたちで宇宙をとらえているということではない」p. 27
自分の捉え方はそもそもこれに非常に近い。概説書とかで昔に摂取したんだろうか。自分が何に影響されて思考しているんだか、さっぱり分からん。

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「さて、真理とは実在との一致ではないというローティの考え方からすれば、あらゆる言説は、それ自体では等しい価値をもつとみなされなくてはならない。人間の意識をそれ自体として存在するものとして記述することと、脳の一機能として記述することは、異なる目的のために役立つのであり、どちらがより「実在に近い」ということはない。」p. 26

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思ったよりずっと自分はプログマティストらしい。この論文、ローティの思想を紹介しているが、非常に「有用」だと思う。
repository.kulib.kyoto-u.ac.jp

「叙述」というのが、どうも、ごく個人的な作業であって、共同作業というのは難しいということも分かる。
戦後の学問にある「共同研究」という理念自体を本当はちゃんと問う必要がある。

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ジャグリング史を書くことで、出来はともかく、誰も書いていない「通史」を書くという経験ができたのは非常に良かった。
戦前の歴史家の「叙述」の意味が分かる。どうしても、先行する叙述に対する細かい事実の訂正作業ばかりに終始しがちだけど、それでは全く届かない次元の叙述空間みたいなものがあることがわかった。

作品を要請したいわけではない。(叙述って「作品」なのかな?)
あまりに人間とか実存とかと関わりがなさすぎる文章の束はやっぱりしんどい。

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叙述をするということは、対象となる人や時代を描くということで、それを通じて人間理解が深まるのだということなんだと思う。それが人文学ではないのか。
人のことも時代のことも把握できない、単に事実を確定していく作業とは、なに?

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やっぱ歴史叙述がしたいのであって、論文を書くことに興味がもてない。
事実の実証とか叙述の片手間に注とかで済ませれば良いじゃんと思うし、そうしているがどうも「これは論文ではない」みたいなこと言われがち。論文じゃなくても良くない?
戦後すぐの歴史学みたいに、理論をつくるために事実の確定が要請されるなら分かる。理論云々の議論にすごく関心があるわけではないが重要な仕事だと思う。
理論も立てない、叙述もしない、そんな「歴史学」って一体何なのか。

ネットサーフィンと雑なコンテンツ摂取、ついついしてしまうが、結構学びはあって、これしないと感度がどんどん鈍るような気もしつつ、しかしやはり無駄な行為という感もあり、どうしたものか。
なんだかんだ現代人の実存が言葉を通じて感じられる場としてはネットは圧倒的に強いよな。
意外と(?)思想と実存との関係にばかり関心があるのかもしれない。

ズーム会議始まったタイミングで、「みなさま〜」って言いたくなる時あるよね。ないか。

imdkm.com/j-pop-and-rhythm
買った。
ジャグリングとリズムの関係を考えるべきだ、というのがやっぱり最近の直感。

noteとかいう場所に橋本絵莉子くるんだみたいな感じ、かなぁ。
38歳なのかぁ

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。