テクニカルでむずそうだけど、エッセイを無理やりに小説にしてしまうかんじで、漫才を小説にしてしまうってのがよさそう。

ジャグリングしている時、人とものの関係はフラットなのかどうか

複数人の会話の技術的むずさと同じ類がジャグリングの描写にもあるはず。複数人の会話、別にだれがどの発言してるかわからなくてもいいみたいな状態があって、なんとかそれを作れれば勝ちなのではないかと思う

形態は違うにしてもフースーヤとかトム・ブラウンみたいなミニマル音楽みたいな漫才あるのおもろい。演劇みたい。

何かを握った時、親指と中指がつくぐらいの太さなんだ、どこまでこの指の形でいけるんだろうか探りたくなる。こういうのもジャグリングだと思っている節があることに気づいた。形や空間におけるルールの発見、調査。

こういうジャグリングを描写するのに人称の扱いって難しいなと思っていたけど、移人称的な考え方が使えるかもしれない。どうなんでしょう。

ジャグリング文学界隈の力が必要。

ボーダーラインみながら、ジャグリングでノンフィクションをどうやるかみたいなこと考えてた

みなさんの家に眠るipodの写真と1曲を集める話しなんてどうですか。

消しゴム山の評論書きたくて動画で見返してる。小説書いたからかもしれんが物よりテクストの方が大事なのねってことに気づいた。
物との関係の模索はまだ謎。

三月の5日間のリクリエーションもみた。こっちは普通におもろい。
ダラダラ喋ってるから伝わる。笑いのない漫才に近い。

あと、少し前だけどブロッコリー・レボリューションを読んでたから見やすかったかもしれない。
読書の時の面白さがそのままくる感じ。

消しゴム山は1部はテクストとして普通におもろい。2部からはその面白さを捨ててるから難解なんだろう。

物ばかりのなかでモノボケせずいかに漫才をやるかみたいな話にみえた。

お金は違和感ないけど、お給料ってなんか違和感ある

そいえば、味園ユニバースの坂本慎太郎のliveよかった

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。