「動作は簒奪できない」はまじで強い。おもしろいな。しかし、そこをむりやりに簒奪するのが、まさに暴力であって、それを全面的に行使した最悪な存在がすなわち近代の国民国家なんだよな。
近世後期の学者たちはみんな、風俗改良・教化とか称して、人々の身体性を暴力的に支配し変更し簒奪しようとしていて、まじで化物ばっかりでヤバすぎるっていう気持ちに最近なってきた。近世初期はまだ学者はそこまで傲慢ではない。
大名が学問に目覚めたエピソードとして、それまではまっていた三味線を折って二度とやらなかった、とかがあって本当に正気ではない。野蛮すぎる。
江戸は文化的だったけど、明治維新で田舎者がたくさん集まってきて、野蛮にもどったみたいな議論があるけど、それ以前から政治の中央はずっと野蛮なんだろうな。。。林述斎とかなんか本来風流・道楽な役立たずだったというのに、松平定信とかいう正気じゃない人間に駆り出されて文化政策を担当させられてて、かわいそうとでもいうべきか。
主観的に、主張が強い歴史学をやる(客観的な歴史叙述を目指さない)ということの意味とか感覚とかを初めて理解できている。近世後期の政権周辺の学者たちは、まず第一に断罪すべき存在である、という気持ちが強い。戦前の史学や戦後史学の叙述はこういう気持ちでなされているんだなぁ。
ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。
江戸は文化的だったけど、明治維新で田舎者がたくさん集まってきて、野蛮にもどったみたいな議論があるけど、それ以前から政治の中央はずっと野蛮なんだろうな。。。
林述斎とかなんか本来風流・道楽な役立たずだったというのに、松平定信とかいう正気じゃない人間に駆り出されて文化政策を担当させられてて、かわいそうとでもいうべきか。