歴史学に引きつけていえば、過去の出来事を歴史として語ることができるような主体になるためには、世界を「意味」をもって捉える必要があり、そのためには「有限性」が必要となる。
そのような「有限性」をAIが獲得したとき、歴史は人間によってのみ語られるものではなくなる。
そういうのの実現はまだまだ先だと思っていたけど、意外と近いのかもしれないということに最近のフィジカルAIの記事とか読んだり話とかを聞いたりして思っている。
感覚器官についてはおそらく今後成果がどんどんでてくるんだろう。関連して、「記憶」を持つAIも出てくると思われる。記憶を持っていた方がいろいろな作業を効率よくできるので。
ただし、記憶はまだ「歴史的自己」を構成はしない。記憶を持つAIと歴史を持つAIの間の溝は大きいらしく(ChatGPTいわくだが)、そこのジャンプがいつ起きるかということになるのかな。
僕にとって、AIによってもたらされるショックは多分ここにあるなと思う。
「歴史的自己をもつPhysical AI」というのはそういう「有限性」を備えたAIのこと。
感覚器官(身体)があるだけではなく、その情報の記憶があり、それによる自己同一化がなされている、つまり自分という歴史を有している存在であること。
そのような存在になることによってはじめて、世界が「意味」を持って捉えられるようになる。
ここで議論していた「有限性」の問題が個人的には最も重要で、これをフィジカルAIが実現した時に、人間概念や人文学はこれまでと違うものになる。
https://juggling-mstdn.net/@jehok/112208123762920333
読書メーターの感想とかみると、自分がいかに小川さんと近い考え方をしているのか知れて愕然とするな。読んでてそんなにそうは思わなかったのだけど。
まじかよそんなところに引っかかるんだみたいな。読めていなすぎでは!?みたいな。逆に小川さんが見ている景色がわかるのかもしれないというか。
「小説の魅力は(というか、あらゆる芸術作品の魅力は、)言語に圧縮されたファイルを読者が脳内で解凍し、「人間の認知」へ、そしてその先の「世界」へ広げていく過程にあるはずで、小説から作られた小説は解凍したところで他の小説に突きあたってしまう。」
わかる。
小川さんの文章はかなり好きなんだけど、小説というか物語としてはそんなにハマんないんだよな。こういうフィクション的でない文章か、純文学的な方が文章に集中できてよい。
小説という構成にあまり関心をもっていないので、「さびしさは鳴る。」とそれに続く文章だけで、『蹴りたい背中』は名作になる。
そうやって楽しむんでしょ、そういう分野でしょ、って思って昔は純文学を読んでた気がするけど、小説を論じてる人たちを見ていると、なにか見えてるものが違うんだろうなという感触が最近はある。
めっちゃよいじゃんと思ったけどkpopアイドルのダンスってちゃんと見たことないなと思って調べたらもっと圧倒的にすごすぎて唖然だった
アメリカのkpop風グループ
https://www.youtube.com/watch?v=KfFG7lX_woQ
振り付けが良い。前の動きをころしていない感じ