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「思想」でも「社会」でも「運動」でも「文化」でもなくて、集団の原理の歴史を論理化して分析したい。
集団の論理を生み出し、継承する器として強力なものに、宗教(教団)・家(家族)などがある。儒教は独自の集団原理を持たない点で宗教として弱い(バラモンやヒンドゥーも同じか)。国家(国民)という集団原理は近代の発明である。企業という集団原理も割合に新しい。
こういう問題意識で柄谷とかを読み直すと発見があるんだろうか。

ある社会の中枢をなす集団原理の転換をもって時代の変化(中世から近世へ、近世から近代へ、近代から現代へ)を論じるというやり方があり得るし、これはあまり試みられていない。
「権力」や「主体」を論じるという姿勢はやはり近代的な集団原理から他の集団原理を評価しようというものだろう。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。