これが僕にとっての社会学であり政治学であり歴史学であり運動なんだろうなという感じがしてきた。
村も家族も企業も教団も国も学問共同体も趣味グループも一応は多分包括して議論ができるはず。
マルクス主義とか柄谷とかの躓きの石はここにあるわけで、東浩紀が企業が大事だというのもこの問題と関係がある。
大学論とか学問共同体の話もこのレベルから議論を始めるべきだと思う。キリスト教の教会や仏教教団とかまで議論を遡らせる必要があるんじゃないか。日本に、権力と対峙できるほど強い学問共同体が存在したのは、やはり禅林が健在だった戦国時代までなんだろうと思う。戦後の文壇・批評系知識人はそれなりに強かったけど、広がりにも継続性にと乏しかった。
以上、60年代のいわゆる戦後歴史学の論文を読んでいて、「連帯」という言葉があまりにも安易に出てくることへの苛立ちから。