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ジャグリングの暴力性をなんとか乗り越えたい。
例えば、工芸品の箸を魅力的に見せるためにジャグリング、ジャグリング的手法を使うとして。
ジャグリングは既存の物の扱い方を一旦無にして、その形に直接向き合うことができるが、だからこそ、既存の価値観とぶつかりやすい。ぶつかることが問題というか、そちらに印象がとられすぎて、魅力を発見しづらくなってしまう。例えば、箸を足で使うとか。
物を魅力的にみせるっていうシンプルな方法が確立すればジャグリングは一気に広がる。

お笑いは暴力性を突破している。
例えば漫才はシンプルに人を叩いたり、否定をすることを通して、人、あるいは人と人の関係を魅力的に魅せる。
もちろん、漫才での暴力は抜け殻のようなもので、舞台上だけの虚構である。
その虚構性を成り立たせているのが舞台だったり、テレビというメディアや場であろうか。

ただ、物と人の関係をみるジャグリングでその虚構は成立するのだろうか?
例えば、本を破ることご舞台上で行われていたとしてその暴力性がノイズにならないであろうか?

たぶんそこを経由しないと人を傷つけない笑い、物をつけないジャグリングは成立しない。

· Tootle for Mastodon · 1 · 0 · 2

@mimizu123 そこを避けると密な甘いものという制限しか残らなくなる。

新しい関係を構築するうえで生じざるを得ない暴力に近いもの。それをすかすのではなく、うけいれ、乗り越える術を考え、実践していきたい。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。