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俳句とジャグリング

ジャグリングのシークエンスを素朴に俳句のように味わうことがある。例えば、素朴に「布団」ときたら「枕」は想像できて、「みかん」はちょっとずれてるみたいな感覚。そういう、日本語の意味のネットワークにおける単語の近さや遠さを絶妙に一方向的に配置したものとして捉える。

ジャグリングも同様で、からだのまわりに物を配置していく場合に、これは自然だとか、ずれているみたいな感覚がある。
例えば、この感じで右手で背中の後ろからボールを投げたら、それは左手でとるんじゃなくて、左手でとるでしょうみたいな感覚。

その近さは、雑に言えば、物と人が織りなす力のネットワークみたいなもので、科学風にいえば、重力とか物が駆動する遠心力とかそういうものの複合の濃度なんだろうけども。

言葉にしなくても、見るだけで、その絶妙な濃淡が味わえるのはやっぱいいよね。しぶいなっていっちゃうよな。

素朴に、といったのは構造として単純にするためで、上記のはかなり触覚的に見ている時。

実際は、視覚的な、意味のネットワークも生じているわけで。雑に言えば、モノボケみたいなことなんだけど。

そういう重層的なネットワークの中での濃淡を味わうみたいな見方ありますよねっていう話。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。