宇多田ヒカルの「七回目のベルで受話器を」云々は、情景は想像できていても、そこの情感は今ひとつ実感がなかったなぁと思う。家の電話で友達と話す経験もあまりないし。
YUIの「指先で送る君へのメッセージ」の情感はライン・Twitter時代の10代に伝わるんだろうか。既読とかで相手の動向を知りようもないメールだと、送った後に一定の静謐がある。メッセージがタイムライン化されていると、いつまで経っても以前の言葉が過去にならないような感覚がある。過去にならないというか、じっくりゆっくり過去になるというか。メールには切断があったということかな。
TOKYOにあるのはそれかもしれない