舞台という形式はことジャグリングにおいては、動画を通じた濃密な交流(時間と労力をかけて技を真似するという交流)を恐ろしく薄く希釈(時間的にも労力的にも)してしまい、観客と演者という断絶をつくりだしてしまったという点で、ほとんどデメリットしか生んでいない可能性すらある。
同じ場所・時間を共有するのが濃密な交流だなんて錯誤も甚だしい。

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道具が無限に多様であること、身体もまた無限に多様であること、この二つが舞台という経験を通じた副産物的な成果物なんだと思う。
その無限を踏まえることではじめて、技術という有限な多様性が真の意味をもつ。

ピントクルからする10年代後半の総括です。

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JJFや技術革新の世界は確かに面白かったし、交流も濃密ではあったが、しかし価値基準が単線的すぎた。うまい/へた、新しい/古いという基準が強すぎる。
本当の魅力は、新しい技術の登場ではなく、技術の交流それ自体であると主張していきたい。交流促進の方法として新たな技術の登場というのはとても分かりやすいのだが、単純に新しいものは出てきづらいのでジリ貧になってしまう。

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道具も身体も本当はそれぞれみんな異なっているという、質の問題の認識がここで重要になってくる、と思うのだが、今一歩解決策がみえない

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。