「ジャグリングのジャンルを分かつのは、実は道具ではなく技術である」、というのは貫井作品から今回実感できた素晴らしい洞察。

物体は「技術」によって「道具」となる、っていうことだな。これは。
ごく当たり前だが。

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つまり「道具」が存在するためには、「身体」と「技術」が必要。どちらかがぬけているところに「道具」は存在し得ない。

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「技術」を通じて人は「物体」に迫ることはできるのか?
ジャグリングの一つの究極の問いはここにある、多分。

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「技術」を通じて(つまり物体の「道具」化を通じて)しか迫れない物体の本質というものがあるのか?

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一方で、「身体」「技術」「道具」の関係に巻き込まれた時、「身体」には何が起こっているのか? ここがいまいち深まってこないポイント。

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しかし、「技術」でない方法で物体と関係をもつとはどういうことなのか。わかっているようで全然わからない。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。