https://www.fukuihirotaka.com/otomodama
おともだまに際しての福井くんのテキスト「ジャグリングに向けてのメモ 」。
「ジャグリングのための物体であっても、日常的な物体であっても、それらは演者の身体に従属し、パフォーマンスに奉仕する道具として振る舞うことしかない。この日見た演目のほとんどがモノを使ったダンスや演劇にしか見えなかったのは、人とモノとの関わりが劇場でよく見るそれと同じだったからだ。アクターは常に一人しかいなかった。」
「データベース消費的」というとちょっとサブカル批評に擦り寄りすぎなんだが、近いものではあると思う。
こういうジャグラーの見方を採用した時には、道具は実は演者以上に主体として眼差される、ということは、ある?ない?どうかな。微妙。