プラトン『アルキビアデス』での「使う者」と「使われる物」の区別。靴職人のナイフ使用と手や目の使用について。
プラトンはこれを「使用」と理解せず、「支配」としてしまい、魂ー身体図式を持ち出す。
以上は176~178頁。第四章の「情動の時代のポピュリズム」(対談日2018/12/21)から。
「使用」と「支配」の区別については少し前の部分(p. 166-167)でアガンベンの名前を出した説明があって、
(國分)「支配というのは主体が客体を自らの思うがままにすることですね。能動と受動の対立に基づいた、主語による目的語の支配です。それに対し、使用では能動と受動、主語と目的語、主体と客体という対立が無効になる。というのも、人は何かを使うときには使われる物に自らを合わせないといけないからです。使用においては、使用する者が使用される物に合わせて生成変化しなければならない。たとえば自転車を使う、つまり自転車に乗るためには、自分が〈自転車を使用する者〉に変化しないといけない。」
(千葉)「要するに、使うというのはサイボーグになるということですよね。」
このプラトンの議論の過程で「中動態の論理」が抑圧されて、哲学史がはじまった(デリダ)。
「使用を支配に還元したこの瞬間こそ、プラトニズムが誕生した瞬間ではないか」