「新しい文化史の構想」みたいな論文を書いて、ある文化における普遍性の問題(その文化によって触れうる世界の真理の問題)と歴史性の問題(その文化の来歴や、社会的な位置付け、担い手の問題)をうまく接合させて論じるということをいつかしたい。
おそらく日本においてそういう作業を実は担っていたのが「批評」という分野であったのではないかと思っている。歴史学の論文をハッキングして、批評を復活させるということが少なくとも可能ではある気がしている(自分に能力的に可能かは不明)。

とりあえず詰将棋を題材に論じたいという構想だけはある。

一応、長期的にみての本丸はジャグリングにある。

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「文化史」という分野は、不当に「国民」とか「国家」に結びつけられて論じられてきたという過去があり、これは明確に批判すべきであると思っている(まだ明確に尾を引いている。最近の近世の囲碁の研究は碁打ちの活動が幕府政治史上での意義だった。政治史に結びつければ意義がある、あるいは結びつけなければ意義が無いというようなくだらない感覚がある)。

簒奪された「文化」は各分野によって取り返されるべきである。それが普遍性の問題を論じる意味。

これは同時に、「文化」なるものが、少なくとも歴史学においてはずっと政治化され続けてきたという問題であって、最近の東さんが言っているような文化と政治の区別の問題を歴史学上で扱うものでもある。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。