序論考え中
これまでの思想史の研究でも、思想と社会、あるいは思想の担い手と社会の関係は問われてきた。その問いの中で、教育や書物などといった思想を媒介するメディアが注目され、一定の成果があがってきた。
※あんまり論文体の文章を考えるのには向いていないな。やっぱりTwitter的なフォーマット(UI?)は「気持ち」を書いて整理するのに最適な感じがする。思いつきは書きやすいけど、考えを整理して決定版的にキレイにまとめる作業には向いてない。そういう決定版なんて不要だ、ということに千葉雅也的にはなるんだろうか。
しかし、そのような視角では、思想家や学者が実際にどのような社会で生きていたかがはっきりしない(ここは全然うまく書けてない)。※思想と社会の関係の問題を、思想の流通する場・メディアに着目して解決しようとした。別の方法の模索をしたい。
問題は、思想家・学者という個人と社会とを一足飛びに結びつけて論じようとする構えにある。そうではなく、中間団体としての社会集団に注目すべきではないか。それぞれの個人が集団にどのように包摂されているのか、そしてその集団が他の集団とどのような関係を有しているのか。