明治や戦前の知識人・学者は、漢籍の知識もあり、洋書も読んでいて、関心の幅も広くてすごい、みたいなことが言われるが、当然、知的資本が一部に集中していて、エリート養成の体制が地域レベルでも国家レベルでも存在していたからそうなる。
いまの学者や「知識人」みたいなのはだらしないとか質が低いというのは、そういうエリート養成システムから大衆を平等に底上げする教育システムに移ったからこその出来事のはず(多分、大局的にはそのはず)
本を読む人をとにかく増やす、が何を目指しているのかわからない部分がある。生成AIを使うばかりになって自分で文章を読めなくなる書けなくなる、のであれば、文章を読み書きすることはやはりエリート養成的にやっていくしかない。それはでも自然科学の実験とかプログラミングとかだって、国民全員が深く経験しているわけではないけど、成果を上げているわけだし、結局人文とか読書とかだけ、そういう(理念的には)全員「基礎教養」として身につけるべきで、読書習慣をもっと布教しなければ!ってなるのも目的がわからない
ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。