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昨日のツイキャスより。
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ジャグリングを通して、物との関係を考えてみる。実験。
その辺にある物を、社会的なイメージや質感で甘いと冷たいに分けてみる。
むぎはら帽子は甘い。パソコンは冷たい。
ノスタルジーがどこまであるか、時代性をかんじないか。
団扇は甘い。でも、風車はちょうどいい。
蛍光灯、枕、扇風機、扉はどうか。

基本的に、ジャグリングは甘い関係を物と結ぶ。だから、物が甘いものを使われると胃もたれする。
だから、ちょうど良い冷たさをもった物を扱うか。あるいは、甘いものと甘くはない別の関係を探っていくのか。

昨日のツイキャスより2

思い出をのせてしまうとジャグリングとしてフェアじゃない気持ちになる。それ、非常にわかる。

上の甘さの問題にも近い。
他の理由として、ジャグリングというと、道具のあの抽象度の高さとか。
あるいは、ジャグリングを見るという時、友達じゃなくて、観客としてみることが多い(そして、それが強固になった「観客」として見るべきという観念がある)ことも理由の一つに感じる。

ジャグリングを見ることの普遍と固有の問題的な。

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そういえば、思い出のジャグリングの可能性を最近考えていた。

ローカライズとしてのジャグリング、「地方とジャグリング」といえば、大道芸祭が思い浮かぶ。
そこで芸を見に来る人は観客であり、もっといえば、観光客である。

観光客はその手軽さが良い。お金さえ払えば、パッと寄って、楽しかったとみて、帰り、日常にそのまま戻ることができる。

ただ、あまりに度がすぎると消費するだけになる。その「地方」に行く意味も薄れる。人と人も繋がらない。というより、表層で「繋がった」気になってしまう。

ジャグリングを通じて、その地域と人を繋げる、別のやり方を考える時、「思い出のジャグリング」がヒントになるかもしれない。

観客ではなく、友達としてジャグリングを見る。
その時、先の「甘い、冷たい」を考えることは役立つ。

友達を見るとは、人の表層的な綺麗さだけを見ることではなく、もっとドロドロとした内側も垣間見ることである。

物との多様な関係を探求する。
それはもちろん、甘い関係だけには止まらない。

ちょっと、うっとなって、勇気がいるが、友達としてジャグリングを見ることの追求も面白いと思う。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。