ふと思ったが、僕は「精神の純度」を初期仏教にみているのかも。
ずっと、増谷文雄の『仏教の思想 1 知恵と慈悲』という本での初期仏教での「僧」集団のありかたに一種の理想をみているが、その感覚は「精神の純度」とかいうフワッとした何かともしかしたら近いのかも。
大学の世界とか、現在の学問の世界にそういうものが無いことを前提にしたうえで、特権とか利権とかがない状態での学問の世界にある種の「精神の純度」があるかもしれないと思って、今の研究をはじめている可能性もある。
あるいは、趣味の世界、アマチュアの世界にこそ、そういう「精神の純度」があると思っているか。
ブッダは、初期仏教について知れば知るほど「精神の純度」が高い感じがする。神とか救済とか言わないし、対人の姿勢が常に水平的。
(あんまり日本の思想、思想家にそれを感じられることはない)