ジャグリングを通して、物との関係を考えてみる。実験。
その辺にある物を、社会的なイメージや質感で甘いと冷たいに分けてみる。
むぎはら帽子は甘い。パソコンは冷たい。
ノスタルジーがどこまであるか、時代性をかんじないか。
団扇は甘い。でも、風車はちょうどいい。
蛍光灯、枕、扇風機、扉はどうか。
基本的に、ジャグリングは甘い関係を物と結ぶ。だから、物が甘いものを使われると胃もたれする。
だから、ちょうど良い冷たさをもった物を扱うか。あるいは、甘いものと甘くはない別の関係を探っていくのか。
そういえば、思い出のジャグリングの可能性を最近考えていた。
ローカライズとしてのジャグリング、「地方とジャグリング」といえば、大道芸祭が思い浮かぶ。
そこで芸を見に来る人は観客であり、もっといえば、観光客である。
観光客はその手軽さが良い。お金さえ払えば、パッと寄って、楽しかったとみて、帰り、日常にそのまま戻ることができる。
ただ、あまりに度がすぎると消費するだけになる。その「地方」に行く意味も薄れる。人と人も繋がらない。というより、表層で「繋がった」気になってしまう。
ジャグリングを通じて、その地域と人を繋げる、別のやり方を考える時、「思い出のジャグリング」がヒントになるかもしれない。
観客ではなく、友達としてジャグリングを見る。
その時、先の「甘い、冷たい」を考えることは役立つ。
友達を見るとは、人の表層的な綺麗さだけを見ることではなく、もっとドロドロとした内側も垣間見ることである。
物との多様な関係を探求する。
それはもちろん、甘い関係だけには止まらない。
ちょっと、うっとなって、勇気がいるが、友達としてジャグリングを見ることの追求も面白いと思う。