清竜人とかアヴちゃんとか見てると音楽で人生救われてる才能ある人が沢山いるんだなと思うし、マンガも文学もそうだろうし。ジャグリングで救われる世界であってほしいよな。スポーツというやつ、どうも本当に納得いかない。もっとフィジカルなカルチャーが広がるべきだろ。文化は「体育」とか「スポーツ」とかいう近代的悪から身体を取り返すべき。
文化/体育というほんとうに馬鹿みたいな分類がなぜ許されてしまうのかだよな
「スポーツ」の更新を「人間の身体への挑戦を文化にする」という風にみるなら、それに相応しいのはサーカスなのかもしれない。ダンスや演劇では無論ないが、ジャグリングでも覆えない。というか、ジャグリングとは力点が違う。
ダンスとか既存の舞台芸術の文脈でサーカスを語ろうとするのはやはり狭くて、サッカー批評とかスポーツを文化的に語っている文脈と繋がったときがサーカスの躍進の時なんだと思う。
習い事などの文脈もあるにはあるが、一般のスポーツを含め、「身体をみる」という要素が薄すぎる。音楽やマンガなら素人の作品だって楽しめるのに、身体だとそれが文化として広がりをもたない。テレビやお笑い、You Tube、ニコ動、tiktokは「身体をみる」娯楽として理解の仕方を考えなおした方がいい気もする。
アイドルはその意味でも未だにやはり一つの最先端なんだな。
スポーツは根本的に人を救えない。ような気がしてならない。
プロレスという存在もあるな。
ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。
スポーツは根本的に人を救えない。ような気がしてならない。