10年代のジャグリングは舞台の季節だったが、一方で、ほぼ同じタイミングで二つの事件が起こっている。
ジェイおよびRDLの「4番目の形」等のプロジェクト開始と、渡邉尚の異様な身体の登場。

舞台表現へと向かおうとしていたジャグラーのうち一部は(一部だけだが)、この二つを正面から受け止めようとして(受け止めきれたかはともかく)、意識的・無意識的にかなりの軌道修正をすることとなった。
ジャグリングの本質とは何か?という問題が、舞台でどう表現するか?よりもずっとずっと重く切実で切迫したものになった。

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その一部にあたるのが、岡本てるきであり、宮野あきらであり、ピントクルだったと思う。青木くんも。山村ゆうりにはジェイの問題は薄いかもしれないが、ないことはないはず。
この衝撃とはほぼ無縁に舞台表現へ向かった人たちも無論多数いたが、当時はこの差が今ひとつ把握されていなかったので、シーンが混乱していたような印象がある。混乱したまま舞台の熱気が収まってしまった。

道具の問題と身体の問題を踏まえて、技術の問題を改めて考える、という今回の論は、結局のところ、10年代後半の二つの事件への僕なりの回答である。が、それだけでなくまた、技術革新こそがジャグリングの魂だとごく素直に思っていた、舞台へと向かう以前の素朴なジャグリング観のアップデートでもある。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。