舞台表現へと向かおうとしていたジャグラーのうち一部は(一部だけだが)、この二つを正面から受け止めようとして(受け止めきれたかはともかく)、意識的・無意識的にかなりの軌道修正をすることとなった。
ジャグリングの本質とは何か?という問題が、舞台でどう表現するか?よりもずっとずっと重く切実で切迫したものになった。
道具の問題と身体の問題を踏まえて、技術の問題を改めて考える、という今回の論は、結局のところ、10年代後半の二つの事件への僕なりの回答である。が、それだけでなくまた、技術革新こそがジャグリングの魂だとごく素直に思っていた、舞台へと向かう以前の素朴なジャグリング観のアップデートでもある。