人のコップの持ち方をインストールするという経験、素晴らしくジャグリング的で、素晴らしく親密なコミュニケーション。
そしてこれは実際に対面しなくてもできる。ZOOMでもできてしまう。
技術にジャグリングの本質がやどっているとはこういうことである。
コップがいかに多様であろうとも、手がいかに多様であろうとも、持ち方の多様性は有限で、おおよその場合はなんらかの真似の仕方がありうる。そこに宿るコミュニケーションがジャグリング的なそれ。見る/見られるは方法にすぎない。もちろん触って伝授しても、言葉で伝授してもいい。しかし、今のジャグリング文化の興隆は動画によって視覚的な伝授が簡易化したことにまずは拠っている。
そこで改めて動画というものの力をちゃんと信じてやる必要がおそらくある。
技動画こそが本質。
技術/舞台(サーカス)/道具/身体の四つの軸があって、舞台の熱気はこれらがまぜこぜになってカオスをつくっていたんだな。
社会人ナイトとかイアコットとかは、エンタメ志向を表向き装いつつ技術をやっていた。僕も心情的にはこれが好きだったな。
動画を使って技を解析して真似をするという営みにこそジャグリング的コミュニケーションがある。そこにしかないまである。