人のコップの持ち方をインストールするという経験、素晴らしくジャグリング的で、素晴らしく親密なコミュニケーション。
そしてこれは実際に対面しなくてもできる。ZOOMでもできてしまう。
技術にジャグリングの本質がやどっているとはこういうことである。
コップがいかに多様であろうとも、手がいかに多様であろうとも、持ち方の多様性は有限で、おおよその場合はなんらかの真似の仕方がありうる。そこに宿るコミュニケーションがジャグリング的なそれ。見る/見られるは方法にすぎない。もちろん触って伝授しても、言葉で伝授してもいい。しかし、今のジャグリング文化の興隆は動画によって視覚的な伝授が簡易化したことにまずは拠っている。
人は孤独でこそ「もの」と向き合えるのだとして、それを人に伝える方法は何か?という真っ当な疑問を先週突きつけられたんですが、その答えが、こういう本質ジャグリング的なコミュニケーションによる伝授ということになります。
技術/舞台(サーカス)/道具/身体の四つの軸があって、舞台の熱気はこれらがまぜこぜになってカオスをつくっていたんだな。
社会人ナイトとかイアコットとかは、エンタメ志向を表向き装いつつ技術をやっていた。僕も心情的にはこれが好きだったな。
シンプル上手さが好きな人からすると、上の四つが全部一緒に見えるらしい。マジかよ。いや、今まで自分も整理できてなかったけれども。