目線含め身体的なアプローチで言葉に説得力をもたせるというのは重要で、普遍的だし、時に平等的だと思う。
が、話す時には自分はあまりそれはしたくない。言葉を相手に直接手渡さずに、その場に放っておいて、気になった人には拾ってほしい。
多分身体とかを離れた、言葉の力を信じたいということでもある。タイミングや言葉によっては、全然自分に向けられていないはずの言葉が、ものすごく突き刺さってしまうことがあって、そういう言葉の力を信じたい。
普遍性を欠いた言葉というものをそれでも信じたい、その理由をもっと説明できるようになりたい。
既存のジャグリングパフォーマンスへの違和感もここにある。
結局大道芸も舞台もそこまで好かないし、意外と競技が一番良いのは、この問題と関係するんだと思う