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メモ
「ある個からみえる・感じられる世界のことを〈全体〉と呼ぶ。〈全体〉がなければ、何も始められないし、何も意義づけられない。全てが見える・感じられる存在にむしろ〈全体〉は存在しない。その個に何が見えており、何が見えていないか、何が感じられており、何が感じられていないか、それがその個の特性を作り出す。人間は時間的にも空間的にも知的にも有限な存在で、全てが見えたり、感じられたりすることはない。そこに人間の個の有限性があり、〈全体〉がある。
AIはどうでしょうか。」

なんだかんだで宇野常寛がやってることは悪くないよなぁと思う

文体が似てるってのはどちらかというと、小説という形式が要求する制限への対応の仕方が似てるっていうことな気もする。

小川さんの短編はすごく良くできていて、感じる部分もちゃんとあるけど、なんとなく構造というかどうつくられているかがわかる気がする。
小説作品を完成させるのを横で経験したから構造が少し見えるようになったのか。それにしても似ている。

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でも文体というか思考の型みたいなものに共通するところがありそうにも思える。

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『君が手にするはずだった黄金について』読んでる。小川哲。
なんか中西の小説とすごく文体が似てるような気がするのはなんなんだろう。なんだ?

腰をすえて文章を書くというのがなんだかできないなぁ

哲学で「有限性」がキータームになってる意味が急に実感としてわかった気持ちになった。

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人と話したいっていうのは、そういう〈全体〉と触れあいたいってことでもある。
〈全体〉というか、「一つの有限な個」というか。

有限な個を、まずは自分に見出す、というのが千葉雅也が言っている勉強であるなら、たしかにそれはストレートに自己啓発だ。

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社会につながる実感というのも、そういう、ある〈全体〉がそこにあることを把握して、そこに自分の活動や制作物やらがつながるという実感のことなのかもしれない。

必要なのは物語ではなく、〈全体〉なのか。あるいはそれらはほぼ同義か。

ガブリエルの話とかもそういうレベルで読んじゃったら引き受けやすい。というか、そこが受けてそう。

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フィクションでもよいから〈全体〉を身体で感じられてないと、何も始められないし、何も意義づけられない。〈全体〉を感じるためにはまず動く必要があるんだな。

インターネットにはいろんなものがあるけど、〈全体〉はない。インターネットだけでは〈全体〉が感じられない。

インターネット色々みてると、「批評」って言葉を掲げて書いてるやつはやばいやつ、みたいな経験則がある程度成り立っちゃいそうで厳しいものがある。

全身で引き受けるべき面白い研究が無いってことなんだよな

批評サイト。へええ

批評サイト開設のご報告&書籍購入リスト|メルキド出版 @ab04F6E54Be1RjN note.com/noburirasu24/n/n6b716

研究が面白くならない。もう少し本質的なことを考えたい。本質的でない抽象的な話が多すぎる。
具体でも本質でもないのはつまらない

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。