文体が似てるってのはどちらかというと、小説という形式が要求する制限への対応の仕方が似てるっていうことな気もする。
小川さんの短編はすごく良くできていて、感じる部分もちゃんとあるけど、なんとなく構造というかどうつくられているかがわかる気がする。
小説作品を完成させるのを横で経験したから構造が少し見えるようになったのか。それにしても似ている。
人と話したいっていうのは、そういう〈全体〉と触れあいたいってことでもある。
〈全体〉というか、「一つの有限な個」というか。
有限な個を、まずは自分に見出す、というのが千葉雅也が言っている勉強であるなら、たしかにそれはストレートに自己啓発だ。
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