そうだなと思う部分もありつつ、そうとも言い切れないよなと思う部分も結構ある。
構造を捉える際に細部の肌感覚の方が大事なことも多いと思う。そういう肌感覚をつかむためには結局細かな事実とか経緯を辿る必要が出てくる。
プラトン『アルキビアデス』での「使う者」と「使われる物」の区別。靴職人のナイフ使用と手や目の使用について。
プラトンはこれを「使用」と理解せず、「支配」としてしまい、魂ー身体図式を持ち出す。
厚生館は明治会堂( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E5%A0%82 )のことらしい。3月3日には松旭斎天一の一座が公演を打っている(藤山新太郎『天一一代: 明治のスーパーマジシャン』NTT出版, 2012のp284)ので、それを見に行っているらしい(周本人は行ってないが)。