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謎解き界隈も盛り上がってるんだなぁ

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やっぱり読書会は集団とか集合の話を読みたいな

集団があってはじめて個人がある。
最近はそういう考えが強くなってきていて、かつての理想(個人のための集団)と多少のズレがあるように感じる。
良い個人であるために良い集団をつくって所属する、とすれば整合的なのか

上の世代が下の世代に断絶を強調しすぎることの弊害について。
下の世代が歴史意識を育むに際して実は最大の障壁がそこにあるのでは

百万遍の快活クラブがなくなってる?このタイミングなのか

以上、60年代のいわゆる戦後歴史学の論文を読んでいて、「連帯」という言葉があまりにも安易に出てくることへの苛立ちから。

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マルクス主義とか柄谷とかの躓きの石はここにあるわけで、東浩紀が企業が大事だというのもこの問題と関係がある。
大学論とか学問共同体の話もこのレベルから議論を始めるべきだと思う。キリスト教の教会や仏教教団とかまで議論を遡らせる必要があるんじゃないか。日本に、権力と対峙できるほど強い学問共同体が存在したのは、やはり禅林が健在だった戦国時代までなんだろうと思う。戦後の文壇・批評系知識人はそれなりに強かったけど、広がりにも継続性にと乏しかった。

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今の世の中は、環境をうまいこと設定することで、こういう集団もうまいことコントロールできるのではないか、そこで暮らすのが結局幸せではないかという思想(設計主義?)が強い。
僕もその考えにはかなり長く浸かっているし、それで良いような気もしているが、どうなんだろう。資本主義の是非をこの深度で問う必要がある。

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これが僕にとっての社会学であり政治学であり歴史学であり運動なんだろうなという感じがしてきた。
村も家族も企業も教団も国も学問共同体も趣味グループも一応は多分包括して議論ができるはず。

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人が集まって、団体をつくって、運営する。消滅もさせず、硬直化も腐敗もさせず、生き生きとしたまま活動を継続させることの難しさと尊さについて語りたい。
必要悪としての硬直化の話とか、団体自体を継続することにそもそも意味はあるのかとか、参入障壁はあった方がよいのかどうかとか。

歴史の役割をめぐって二つの立場がありうる?
・実証的に過去を再現する
・成立しなかった可能性(こうだったかもしれない)を追求し、再構成する

アーカイブもこの両側面と関係する。前者ばかりになるとひどく保守的になってしまう。

頂点でも民衆でもなく、集団の思想史が必要

ゲンロン、買ったのに届かないな、とか思ってたら電子版を買ってたわ

人間が複数いて、集団が形成され、世代交代していく。
継承されるものは血であり、財産(不動産・動産)であり、知識である。知識は物理的に専有するのが難しいので、その継承には比較的開かれた集団がつくられやすい。。??
知識と集団の関係も考えておきたい。

ある社会の中枢をなす集団原理の転換をもって時代の変化(中世から近世へ、近世から近代へ、近代から現代へ)を論じるというやり方があり得るし、これはあまり試みられていない。
「権力」や「主体」を論じるという姿勢はやはり近代的な集団原理から他の集団原理を評価しようというものだろう。

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「思想」でも「社会」でも「運動」でも「文化」でもなくて、集団の原理の歴史を論理化して分析したい。
集団の論理を生み出し、継承する器として強力なものに、宗教(教団)・家(家族)などがある。儒教は独自の集団原理を持たない点で宗教として弱い(バラモンやヒンドゥーも同じか)。国家(国民)という集団原理は近代の発明である。企業という集団原理も割合に新しい。
こういう問題意識で柄谷とかを読み直すと発見があるんだろうか。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。