雑な言葉で言語化シリーズ。
ラッパーの何気ないマイクの持ち替え
フリースタイルバトルを見ているとラッパーがマイクを右手から左手あるいはその逆に持ち替えることがある。それ自体はいたって普通の行為だが、その持ち替えを背中の後ろという特殊な位置で行うことがある。そこに私はジャグリングを見る。
例えばこの動画。(あとではる)
どういうことかというと、その特殊な位置での持ち替えが起こったことを異なる2つの思考のいずれかが行われているのではないかと見るのだ。
一つ目はマイクの目線から世界を捉えるようなマイク中心主義的な世界観である。難しげであるが、要はマイクの立場になって考えるということで、マイクを固定化し、そこに従属するように自分が動くということである。ジャグリングの技術の場合、アイソレーションとよばれるものに近い。マイクを観客に見えるように固定化したまま自分が回転すると自然とそのような動きになる。
二つ目は「有線」マイクの道具批評である。
これは有線であることが重要な要素である。
例えば自分が左手に有線をマイクを持つことを想像してほしい。
@mimizu123
このような2つの見立てはマイクの手渡しという一つの行為からどちらかに絞ることはできない。というより、一つの行為から複数の人間と物との
関係性に開いていくことがジャグリングを見るということではないのだろうか。
終
@mimizu123
その時にマイクの先から伸びたコードは体のどこを通っているだろうか?これは人によって、まちまちであろうが私は左側である。なぜなら、その場合がもっともコードがすっきりと伸びるからである。ちなみに、真ん中の足の間を通すを想像した人はジャグリングの才能が高い。
さて、マイクを左手に持ち、左側に伸びたコードを右手に渡す時、素朴に渡すとどうなるか。
マイクを右手に持ちつつ、コードは依然として左側の状態になる。これはあまりすっきりしない。
(すっきりしない理由はあとで補う)
では、左手に持ったマイクを右手に渡しつつ、かつ、コードも体の右側に通すためにどうしたらよいか?
もうお分かりであろう。それは、ラッパーがしたように体の後ろで左手から右手にマイクをパスするのである。これは有線マイクという道具を実際に動かしてみる中でわかる性質である。
このような道具の性質を主に物の扱いを通じて発見していくことを道具批評と呼ぶ。
これを以て、