翻訳支援ツール
Translation Memory in Memsource
https://www.memsource.com/ja/features/translation-memory/
青木くんに紹介されて、横浜 コワーキングスペース タネマキにきた。いいなー。
https://tane-maki.net/
ゆるい大人のジャグリング部みたいなのいいんだよなー。
編集者の加藤直徳さんんが京都でやっているイベントもめちゃくちゃしぶい。
雑誌。良さ。
https://atlantis-mag.jp/
@miyamonz おっけいー。こっちも昼過ぎぐはいからは予定ないかなー。
16時に下北沢駅に集合でどう?
@miyamonz おー、僕も明日の夜回!
だべろう!前で!前と同じことになるところだった笑
下北沢の喫茶店とかかな。
@mimizu123
企画
無料で気軽な感じだし場所もスタジオでちょうどいいので、いろんなバックボーンの人が集まってやりたい。
出演者も見るひとも。ジャグリング知らない人とか。雑にいえば、群れることでどんなジャグリングができるかみたいな。
ある程度、コアが集まったらTwitterで募集するか。
素朴に、といったのは構造として単純にするためで、上記のはかなり触覚的に見ている時。
実際は、視覚的な、意味のネットワークも生じているわけで。雑に言えば、モノボケみたいなことなんだけど。
そういう重層的なネットワークの中での濃淡を味わうみたいな見方ありますよねっていう話。
俳句とジャグリング
ジャグリングのシークエンスを素朴に俳句のように味わうことがある。例えば、素朴に「布団」ときたら「枕」は想像できて、「みかん」はちょっとずれてるみたいな感覚。そういう、日本語の意味のネットワークにおける単語の近さや遠さを絶妙に一方向的に配置したものとして捉える。
ジャグリングも同様で、からだのまわりに物を配置していく場合に、これは自然だとか、ずれているみたいな感覚がある。
例えば、この感じで右手で背中の後ろからボールを投げたら、それは左手でとるんじゃなくて、左手でとるでしょうみたいな感覚。
その近さは、雑に言えば、物と人が織りなす力のネットワークみたいなもので、科学風にいえば、重力とか物が駆動する遠心力とかそういうものの複合の濃度なんだろうけども。
言葉にしなくても、見るだけで、その絶妙な濃淡が味わえるのはやっぱいいよね。しぶいなっていっちゃうよな。
Juggling Unit ピントクル代表。京都でジャグリングのオムニバス公演「秘密基地」を運営したり、作品をつくったりするひとです。