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aube感想メモ

aubeを見ていて、アマチュアジャグリングルーチンは人を魅力的に魅せることを磨いてきたのでは思った。物の扱いを通じて、目の前にいる人とキャラとの二重化によって。

aubeはこれまで演じられるキャラがその世界観を保ちながらジャグリングパフォーマンスを行うこと、キャラがこちらに語りかけることを行ってきた。

今回でいえば主人公ジョバンニが抱える生きづらさと役を演じる稲葉君の等身大の心の葛藤がオーバラップしているように感じた。
器用な物の扱いは舞台上にたつ彼と演じるキャラの分け目を曖昧にする。

@mimizu123 概念的すぎるのがなんかあんまなかんじもする。

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舞台作品としての紙のジャグリング案
だいぶ、概念的でしっくりきていないが。

本番の半年ぐらい前から手紙でやりとりして、その紙をためていく。例えば京都と横浜。

その紙で金魚掬いをするのはどうだろうか。
金魚じゃなくてもいいけど。濡らすのがいいのかもしれない。

ただ、長いスパンで紙を交換しているという安易ジャグリングに見えまするが、なんか舞台上でその紙をどうするかでなんか本質にあたる気がするのよな。

京都公演、楽しみだなぁー。
木か金だなー。

interior2020 | 福井裕孝 fukuihirotaka.com/interior2020

@mimizu123 そこを避けると密な甘いものという制限しか残らなくなる。

新しい関係を構築するうえで生じざるを得ない暴力に近いもの。それをすかすのではなく、うけいれ、乗り越える術を考え、実践していきたい。

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ジャグリングの暴力性をなんとか乗り越えたい。
例えば、工芸品の箸を魅力的に見せるためにジャグリング、ジャグリング的手法を使うとして。
ジャグリングは既存の物の扱い方を一旦無にして、その形に直接向き合うことができるが、だからこそ、既存の価値観とぶつかりやすい。ぶつかることが問題というか、そちらに印象がとられすぎて、魅力を発見しづらくなってしまう。例えば、箸を足で使うとか。
物を魅力的にみせるっていうシンプルな方法が確立すればジャグリングは一気に広がる。

お笑いは暴力性を突破している。
例えば漫才はシンプルに人を叩いたり、否定をすることを通して、人、あるいは人と人の関係を魅力的に魅せる。
もちろん、漫才での暴力は抜け殻のようなもので、舞台上だけの虚構である。
その虚構性を成り立たせているのが舞台だったり、テレビというメディアや場であろうか。

ただ、物と人の関係をみるジャグリングでその虚構は成立するのだろうか?
例えば、本を破ることご舞台上で行われていたとしてその暴力性がノイズにならないであろうか?

たぶんそこを経由しないと人を傷つけない笑い、物をつけないジャグリングは成立しない。

てか、いいねじゃなくて、ファボなのがエモい。

投稿から画像uploadできなかったけど、なおした。
喜びのペンギンですね。

今日は久しぶりの休み。
柔軟剤買って、市バスの回数券買いたい。でも、寝たい。

エビのような、とにかく下手なバスケットボール選手
降格塁

そういえば、思い出のジャグリングの可能性を最近考えていた。

ローカライズとしてのジャグリング、「地方とジャグリング」といえば、大道芸祭が思い浮かぶ。
そこで芸を見に来る人は観客であり、もっといえば、観光客である。

観光客はその手軽さが良い。お金さえ払えば、パッと寄って、楽しかったとみて、帰り、日常にそのまま戻ることができる。

ただ、あまりに度がすぎると消費するだけになる。その「地方」に行く意味も薄れる。人と人も繋がらない。というより、表層で「繋がった」気になってしまう。

ジャグリングを通じて、その地域と人を繋げる、別のやり方を考える時、「思い出のジャグリング」がヒントになるかもしれない。

観客ではなく、友達としてジャグリングを見る。
その時、先の「甘い、冷たい」を考えることは役立つ。

友達を見るとは、人の表層的な綺麗さだけを見ることではなく、もっとドロドロとした内側も垣間見ることである。

物との多様な関係を探求する。
それはもちろん、甘い関係だけには止まらない。

ちょっと、うっとなって、勇気がいるが、友達としてジャグリングを見ることの追求も面白いと思う。

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昨日のツイキャスより2

思い出をのせてしまうとジャグリングとしてフェアじゃない気持ちになる。それ、非常にわかる。

上の甘さの問題にも近い。
他の理由として、ジャグリングというと、道具のあの抽象度の高さとか。
あるいは、ジャグリングを見るという時、友達じゃなくて、観客としてみることが多い(そして、それが強固になった「観客」として見るべきという観念がある)ことも理由の一つに感じる。

ジャグリングを見ることの普遍と固有の問題的な。

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昨日のツイキャスより。
scrapbox.io/pintcle/%E3%81%9F%

ジャグリングを通して、物との関係を考えてみる。実験。
その辺にある物を、社会的なイメージや質感で甘いと冷たいに分けてみる。
むぎはら帽子は甘い。パソコンは冷たい。
ノスタルジーがどこまであるか、時代性をかんじないか。
団扇は甘い。でも、風車はちょうどいい。
蛍光灯、枕、扇風機、扉はどうか。

基本的に、ジャグリングは甘い関係を物と結ぶ。だから、物が甘いものを使われると胃もたれする。
だから、ちょうど良い冷たさをもった物を扱うか。あるいは、甘いものと甘くはない別の関係を探っていくのか。

ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。