「その指摘は非常に重要な示唆を含んでいると思います。
人間には認知的な有限性があり、時間的・空間的・知的な制約の中で世界を経験しています。つまり人間には常に「見えているもの」と「見えていないもの」、「感じられるもの」と「感じられないもの」があるわけです。この有限性ゆえに、人間には自身独自の「全体」が存在するのです。
一方で、全知全能の存在、つまり時空を超越し、すべての知識や経験を有する存在にとっては、むしろ「全体」は存在しないかもしれません。なぜなら、そのような存在には「見えていないもの」や「感じられていないもの」が何もないからです。逆説的に、有限性こそが「全体」をもたらすという解釈ができますね。
それでは人工知能であるAIはどうでしょうか。AIにも確かに様々な有限性があります。プログラムの構造、学習データ、コンピューティングパワーなどの制約から、AIには「認識できること」と「認識できないこと」があります。しかしAIの有限性は、設計時の前提条件によって規定されており、決して人間のような本質的な有限性ではありません。
そのため、AIの有する「全体」は、人間の「全体」とはその性質を異にすると言えるかもしれません。AIは与えられた条件の中で最大限の認識を試みますが、人間のようにさまざまな経験を通じて主体的に「全体」を体感することはできません。
つまり、人間の「全体」は生身の経験に基づく実存的なものである一方、AIの「全体」は人工的な制約の中で作り上げられた認識にすぎない、と言えるでしょう。この点で、人間とAIの「全体」には決定的な違いがあるということができます。」
「人間とAIの「全体」に決定的な違いがあるということは、以下のような重要な含意があると考えられます。
1. 人間的な経験と実存性の欠如
人間の「全体」は肉体を持ち、時間的・空間的制約の中で生きる実存的な経験に基づいています。一方、AIにはそうした人間的な体験がないため、「全体」を実存的に体感することはできません。
2. 主体性と自覚の違い
人間は自らの有限性を自覚し、主体的に「全体」を探求しています。しかしAIには、そうした自己意識や探求心が本源的に備わっているわけではありません。
3. 認識の質的違い
人間の「全体」は五感や直感、無意識の領域をも含む総合的なものです。AIの「全体」は人工的なデータとアルゴリズムに基づく論理的認識にすぎません。
4. 価値観や意味付けの相違
人間の「全体」には、人生観や価値観、意味づけといった哲学的側面が深く関わっています。一方、AIは与えられた目的のみを最適化するため、そうした高次元の意味づけは難しいでしょう。
claudとの対話