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出家隠棲したいよな。正しい意味で。仏教がどうとかでなく。

福部里志の「ふくべ」って瓢(ふくべ。ひょうたんのこと)なのか

gpt、過去のスレッドが見れなくなった?

GPT4、芥川賞受賞者について質問してたが、話にならないな。出典として提示してくるHPとすら情報が合致していない。

「亡くなる」が尊敬語なのかが気になっているが、調べたらやはり尊敬語ではない。
jstage.jst.go.jp/article/keidaironshu/69/1/69_59/_pdf/-char/ja

高知に来ている
『高知県の山村を歩く』という本を買った。去年の年末の展覧会で出された写真集らしい
kochinews.co.jp/article/detail

謎解き界隈も盛り上がってるんだなぁ

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やっぱり読書会は集団とか集合の話を読みたいな

集団があってはじめて個人がある。
最近はそういう考えが強くなってきていて、かつての理想(個人のための集団)と多少のズレがあるように感じる。
良い個人であるために良い集団をつくって所属する、とすれば整合的なのか

上の世代が下の世代に断絶を強調しすぎることの弊害について。
下の世代が歴史意識を育むに際して実は最大の障壁がそこにあるのでは

百万遍の快活クラブがなくなってる?このタイミングなのか

以上、60年代のいわゆる戦後歴史学の論文を読んでいて、「連帯」という言葉があまりにも安易に出てくることへの苛立ちから。

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マルクス主義とか柄谷とかの躓きの石はここにあるわけで、東浩紀が企業が大事だというのもこの問題と関係がある。
大学論とか学問共同体の話もこのレベルから議論を始めるべきだと思う。キリスト教の教会や仏教教団とかまで議論を遡らせる必要があるんじゃないか。日本に、権力と対峙できるほど強い学問共同体が存在したのは、やはり禅林が健在だった戦国時代までなんだろうと思う。戦後の文壇・批評系知識人はそれなりに強かったけど、広がりにも継続性にと乏しかった。

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今の世の中は、環境をうまいこと設定することで、こういう集団もうまいことコントロールできるのではないか、そこで暮らすのが結局幸せではないかという思想(設計主義?)が強い。
僕もその考えにはかなり長く浸かっているし、それで良いような気もしているが、どうなんだろう。資本主義の是非をこの深度で問う必要がある。

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これが僕にとっての社会学であり政治学であり歴史学であり運動なんだろうなという感じがしてきた。
村も家族も企業も教団も国も学問共同体も趣味グループも一応は多分包括して議論ができるはず。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。