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舞台表現へと向かおうとしていたジャグラーのうち一部は(一部だけだが)、この二つを正面から受け止めようとして(受け止めきれたかはともかく)、意識的・無意識的にかなりの軌道修正をすることとなった。
ジャグリングの本質とは何か?という問題が、舞台でどう表現するか?よりもずっとずっと重く切実で切迫したものになった。

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10年代のジャグリングは舞台の季節だったが、一方で、ほぼ同じタイミングで二つの事件が起こっている。
ジェイおよびRDLの「4番目の形」等のプロジェクト開始と、渡邉尚の異様な身体の登場。

五年前のインスタ、みんな超絶楽しそうだし、ウェスやジェイがコメントきまくってるし、笑っちゃうな。

浄土が取り壊されるのを悼んでインスタを再開してみた

パンチラインが量産され、それを配置するためだけに文章がつくられる。散文ってそういうものだったか?(書ける気はしてきた)

もうすぐなくなってしまう場所で一人でジャグリングをするという充実

「なんでこんなことでなやまなあかんねん」な季節でもある。

あと、アレントはとんでもない。すごい。

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「もうなにもわからない」期になった

物が上から落ちて来たとき、とっさに手が出るというのは何なんだろう

ジャグリング道具も、厳密には「○○のため」がある、というか、人が道具をさわるときに「○○のため」を仮構しないといけないのかな。

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目的のない動作のための道具や、目的のない物体をつくるための道具はあっても、目的のない道具は多くないな?

個人が世界全体を思考するのは無理がある→「世界は存在しない」
個々が全く別の体なのに、それを「公平」に競おうとするのなんて無理がある→ポストスポーツ

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自己の姿勢・移動を助けるための道具(衣服、乗り物)

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「~のため」をもたない道具、よくわからん

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他の物の位置・状態を変えるための道具(刃物、棒)/他の物を保存するための道具(容器)/他のヒトに見せるための道具(装身具)

道具を使うと知覚世界(世界像)が変化する。動物は多様な道具を使うことはないので、多様な世界像をわたりあるくことがない。
道具の扱いに習熟するとは、そのままの意味で新しい世界を生きることなのだとすると、ジャグリングとはある「世界の見方」というよりも「世界の見方の探し方」って感じなのかもしれない。

スポーツって観客のいない本番を実現できる方法なのか

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。