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更に、長崎で活動する大橋さんは、地元の子供たちにジャグリングを教えたり、一緒にジャグリングを楽しんだりもしています。
子供たちと撮っている映像はジャグリングの素朴な楽しさが伝わってきて、とても良い。
youtube.com/watch?v=UFJIbxQRvd

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ところで、大橋さんは、ジャグリング道具や小物を扱うジャグリングショップ( koutaohasi.stores.jp/ )も運営しています。
また最近は、日用品などでジャグリング?をしている動画を多数公開していて、こちらも非常に楽しいです。
youtube.com/watch?v=uG23moZhIR

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大橋さんのジャグリングは、ボールの数が多いわけでも、体が有り得ないような動きをしているわけでもないのに、ナンバーズと似たような「極限」感があるような気がします。動き一つ一つがそれぞれ唯一の正解を引き当てているような。
twitter.com/o_hashiko_ta/statu

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ジャグリングには、物体を多数投げるナンバーズジャグリングというものがあって、そのトップの世界は本当に人間の極限であり、故にどうしようもなく美しい。
この動画は参考用。大橋さんは出てこないです。今の世界のジャグリングの技術的最高峰がどんな感じかがわかります。
youtube.com/watch?v=ilzPunEzv9

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【大橋家】
大橋昂汰さんのジャグリングは美しいです。極限の美、みたいな表現をするのが良いのではないかと思っています。
動画は、3ボール限定の大会「三玉王」(今年はオンライン開催)での優勝作品。
youtube.com/watch?v=gwMsLiXS93

大体以下
・ボールジャグリング…世界での評価(top40など)
・ながめ・ほごの
・いろいろな道具でのジャグリング
・道具制作
・子どもたち

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aed.omron.co.jp/wecan/event/20
ここで改めて、『2025 大阪万博誘致 若者 100 の提言書』を読む。というやつ。

「恋成れり四時には四時の汽車が出る」時実新子

「いつまでもいつまでも寝る前のよう」柳本々々

サーカスにおける文脈というのを考えようと思うと、なかなか難しい。オリエンタリズム的というか、知らない文化のもの、という覆いが非常にでかい。むしろそれがあるから他の文脈がすべて無かったことにできるともいえる。芸人の身体のみが意味のある文脈だというか。その文脈の見慣れなさこそが、観客にとっては魅力となる。

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記憶やノスタルジーを強調するタイプのジャグリング舞台は、文脈の結節点を「自分の身体感覚」に求めていくということなんじゃないか。物と向き合った時の自分の身体に生まれる文脈としての、記憶あるいはノスタルジー。CwCや、るきさん。
文脈の結節点を「物」だけに求めていくスタイルを突き詰めると、現代演劇に接近する。福井くんやチェルフィッチュ。

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舞台芸術の世界では、10年代なんかには文脈を過剰に重ねまくっていくというスタイルが(サブカルと共振しつつ)一定の流行りをみせていたはずで、僕は一応その流れに乗って舞台をやってきたつもりがある。aubeなんかはそのスタイルのポップバージョンだと考え得るかと思う。あと、「まわりみち」も文脈過多は方向性だった。Wesなんかもある意味こちらになるだろうか?ルークウィルソンのYou Tubeでの素振りなんかもこの匂いがある。オタクっぽいってだけか。

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視覚・聴覚的な美しさというのは、体感的・刹那的なもので、文脈には依存しない。その意味でながめくらしつが一つの正解を追いかけているのではないかと思う。
一方で、「人類」という究極の前提条件まで遡って、後はかなぐり捨てる、という形で文脈離脱をすすめたのが渡邉尚だと捉えることもできるかもしれない。ホワイテストなんかは、まっさらな状態から舞台上でルール(文脈)をつくりあげて遊ぶという作品ではなかったか。

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このように、技術という文脈依存性から抜け出そうと足掻いて結局別の文脈を引き入れるという経緯は多くの舞台ジャグリングが辿っている可能性があるのではないか。(細かく検討してない)

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。