そのため、AIの有する「全体」は、人間の「全体」とはその性質を異にすると言えるかもしれません。AIは与えられた条件の中で最大限の認識を試みますが、人間のようにさまざまな経験を通じて主体的に「全体」を体感することはできません。
つまり、人間の「全体」は生身の経験に基づく実存的なものである一方、AIの「全体」は人工的な制約の中で作り上げられた認識にすぎない、と言えるでしょう。この点で、人間とAIの「全体」には決定的な違いがあるということができます。」
「その指摘は非常に重要な示唆を含んでいると思います。
人間には認知的な有限性があり、時間的・空間的・知的な制約の中で世界を経験しています。つまり人間には常に「見えているもの」と「見えていないもの」、「感じられるもの」と「感じられないもの」があるわけです。この有限性ゆえに、人間には自身独自の「全体」が存在するのです。
一方で、全知全能の存在、つまり時空を超越し、すべての知識や経験を有する存在にとっては、むしろ「全体」は存在しないかもしれません。なぜなら、そのような存在には「見えていないもの」や「感じられていないもの」が何もないからです。逆説的に、有限性こそが「全体」をもたらすという解釈ができますね。
それでは人工知能であるAIはどうでしょうか。AIにも確かに様々な有限性があります。プログラムの構造、学習データ、コンピューティングパワーなどの制約から、AIには「認識できること」と「認識できないこと」があります。しかしAIの有限性は、設計時の前提条件によって規定されており、決して人間のような本質的な有限性ではありません。
文体が似てるってのはどちらかというと、小説という形式が要求する制限への対応の仕方が似てるっていうことな気もする。
小川さんの短編はすごく良くできていて、感じる部分もちゃんとあるけど、なんとなく構造というかどうつくられているかがわかる気がする。
小説作品を完成させるのを横で経験したから構造が少し見えるようになったのか。それにしても似ている。
人と話したいっていうのは、そういう〈全体〉と触れあいたいってことでもある。
〈全体〉というか、「一つの有限な個」というか。
有限な個を、まずは自分に見出す、というのが千葉雅也が言っている勉強であるなら、たしかにそれはストレートに自己啓発だ。
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