池田洋介はこれをかなり自覚的にやっていた。おそらく日本のジャグリングで最初にそこに挑戦したのは池田さんでないかと思う。舞台上にあるもの、そこで起こること以外の文脈を拒否して、無国籍的な作品を作ろうという意思が極度にデザイン化された見た目に帰結しているはず。ただ結局池田さんが世間的に大きく評価されたのはハローグッバイで、つまりビートルズというでかい文脈に依存する形になってしまっている(半ば世界的な古典故に大きな瑕疵には見えないが)。
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E6%96%99%E7%90%86%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%88%A6%E5%A0%B4-%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B-%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E6%98%8E%E6%95%99/dp/4910108017
面白い。暮らしをデザインする、ということの可能性/不可能性について。社会人類学者の参与観察。ジャグリングと無縁ではない。
https://www.youtube.com/watch?v=FCIFAeHrkEE
ポストアポカリプス・ジャパン、よい。
まぁただの再生リストなので、ここでは公開してしまおう。74本・・・多い・・・。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLy6nqKDgpXjQ1rEPGnvxHgqy2u8_LNhQp
https://www.youtube.com/watch?v=XhsesKiSyN0
せばさん、こんなこともしてたのか
https://youtu.be/J181XRiJ6X4?t=5665
ジョン・ギルキー、良き。クラウンの力だ。
こういうなんというか成熟した感じのジャグリングの演技が日本のジャグリングでも出てきて欲しい。己の魅力をよく理解している。色っぽいよね。
前後関係はよくわからないけど、Michael Menesのこういう演技とかを見ると、ちゃんとマイケル・モーションも他の人と同じ時代を生きていることは分かる。
https://www.youtube.com/watch?v=LA5cd9tXGMs
再生リスト作成中。
https://www.youtube.com/watch?v=FX7xruR12YA
Michael Moschen、やっぱあらためて本物の天才だよな。無からこれをつくりだせるってどうなってるんだ。
JJFCSの「オリジナティ」→「希少性」の変化もやはり示唆的な論点だよな。
舞台上の演技だけで判断しやすいように、開発者かどうか等が全く問われない「希少性」という表現になったとはいえ、「珍しさ」とは結局舞台の外側の状況を含みこまずには評価が不可能。
珍しいから良い、なんてコンセプチュアル・アートみたいな前衛の発想である。普通スポーツにもそんな謎の基準存在しないだろう。
「データベース消費的」というとちょっとサブカル批評に擦り寄りすぎなんだが、近いものではあると思う。
こういうジャグラーの見方を採用した時には、道具は実は演者以上に主体として眼差される、ということは、ある?ない?どうかな。微妙。
思うに、ジャグラーはある演技を見る時に、その演技だけではなく、今まで観てきたジャグリング(道具の扱い方)のデータベースを参照しながら、観ている。
そういう見方は、ここで福井くんが言うような「演者の身体に従属」という見方とは、実は別のものとなっているんじゃないか。
https://www.fukuihirotaka.com/otomodama
おともだまに際しての福井くんのテキスト「ジャグリングに向けてのメモ 」。
「ジャグリングのための物体であっても、日常的な物体であっても、それらは演者の身体に従属し、パフォーマンスに奉仕する道具として振る舞うことしかない。この日見た演目のほとんどがモノを使ったダンスや演劇にしか見えなかったのは、人とモノとの関わりが劇場でよく見るそれと同じだったからだ。アクターは常に一人しかいなかった。」