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>印象的だったのは、90年代前半生まれの両氏が自分たちの学生時代を振り返り「NewsPicks的なものが異常に輝いて見えた時期」について語っていたところ。

全然ピンとこないな

書けることだけを書く、という技術の裏側として、書けないはずのことを書けるかのように書く、があって、
そこには、何が書けるか書けないかに無頓着な有象無象とは違う正しさがある。

やっぱり偽史というならここまでやってほしいよね。
題材が、道三と、記憶の書き換え、物語論とかなので、かなり馴染みがあって、やっていることが相当わかる(かつその選択がいかによくハマッているかもわかる)。かなり面白いし、こういうのならやってみたい気持ちになる。

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文章は成立するけど指し示すものが無い、みたいな状態を意図的に作り出して遊ぶ、ということなのか。
そこ以外はわりと普通にお人形遊びだなという感じもある。

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円城塔の新刊を読んでるがめちゃくちゃ面白い。
「三人道三」がかなりハマった
円城塔が文章で何をやってるか、ちょっとわかった気がする。

千葉雄喜ってだれだよと思ったらKOHHだった

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英文を読み書きしながら複雑な思考ができないとかと同じことなのかな。

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自然言語とプログラミング言語がフラットにならんで記述されているということ自体に根本的に納得がいっていない。自然言語も結局は数値に変換されてやりとりされているというのは理解できるものの、、、
書いてある文字がそのまま自然言語として読解できないというのが身体的にわからない。
terminalを開いた状態で思考できる感じがしない。慣れなのか。

「ウル覚え」は誤用のなかでもトップクラスに気持ち悪いな。なにがこんなに気持ち悪いのか。どうしてそんな間違え方をするのか意味不明だからだろうか。

でも要するに
「「『身体』と『道具』の関係を『技術』という観点から把握する」という独特のものの見方、いわば「ジャグリング的思考」を育んできた(p.109)」
という表現が厳密ではなく
「『身体』と『物体』の関係を『技術』という観点から把握する」という独特のものの見方、いわば「ジャグリング的思考」を育んできた」
としたほうが明晰だということかな。

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議論のスタートとしては「身体」と「道具」という言葉を設定せざるを得ないという外的状況のもとで、両者の次元を揃えるために「身体」と同次元の「物体」という語が要請され、「物体」と「道具」の関係の説明が必要になっている。

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本文では
「「『身体』と『道具』の関係を『技術』という観点から把握する」という独特のものの見方、いわば「ジャグリング的思考」を育んできた(p.109)」
が先立って記されている上で、
「「技術」は、「身体」と「道具」をつなげるものです。厳密に言えば、「身体」と「物体」をつなぎ、更に「物体」を「道具」へと変化させるのが、「技術」です(p.113)」
としている。
身体と物体はフラットに並べればよい。いわゆるジャグリングについての表現としては「身体」と「道具」と言われがちなので、p.109はそう記しているが、厳密にいうならズレているという感じ。
「道具」という抽象化は基本的には不要で余分に思う。が、具体的にジャグリングの文化や歴史を考える上ではどうしても必要になる。
抽象化すべき重要論点は現象→技術だけ。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。