生成AIによる人文系の危機!みたいな言い方(別件、Twitterで最近みる)も、いまいちわからない。やっぱり人文系はもっとエリート主義で基準をあげていかないと存在意味がないと思っている。一般生活に生成AIが蔓延することで人文系の次世代養成ができないのであれば、それはつまり自前での再生産機能がうまくいっておらず、一般生活のありかたに依存しているだけだということなんじゃないのか。
日常生活における読み書きがAIでまわるのであれば、(資源の問題とか、日常生活的な支障とかは別問題として)「人文系」がどうみたいな問題として取り上げる意味はない。
本を読む人をとにかく増やす、が何を目指しているのかわからない部分がある。
生成AIを使うばかりになって自分で文章を読めなくなる書けなくなる、のであれば、文章を読み書きすることはやはりエリート養成的にやっていくしかない。
それはでも自然科学の実験とかプログラミングとかだって、国民全員が深く経験しているわけではないけど、成果を上げているわけだし、結局人文とか読書とかだけ、そういう(理念的には)全員「基礎教養」として身につけるべきで、読書習慣をもっと布教しなければ!ってなるのも目的がわからない
いまの学者や「知識人」みたいなのはだらしないとか質が低いというのは、そういうエリート養成システムから大衆を平等に底上げする教育システムに移ったからこその出来事のはず(多分、大局的にはそのはず)