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目的のない動作のための道具や、目的のない物体をつくるための道具はあっても、目的のない道具は多くないな?

個人が世界全体を思考するのは無理がある→「世界は存在しない」
個々が全く別の体なのに、それを「公平」に競おうとするのなんて無理がある→ポストスポーツ

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自己の姿勢・移動を助けるための道具(衣服、乗り物)

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「~のため」をもたない道具、よくわからん

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他の物の位置・状態を変えるための道具(刃物、棒)/他の物を保存するための道具(容器)/他のヒトに見せるための道具(装身具)

道具を使うと知覚世界(世界像)が変化する。動物は多様な道具を使うことはないので、多様な世界像をわたりあるくことがない。
道具の扱いに習熟するとは、そのままの意味で新しい世界を生きることなのだとすると、ジャグリングとはある「世界の見方」というよりも「世界の見方の探し方」って感じなのかもしれない。

スポーツって観客のいない本番を実現できる方法なのか

ジャグリングのドロップやミスには独特の「他人事」感があると思うな
少なくとも僕はあんまりミスを征服したいと思って練習してない気がする。「うまくなる」っていう楽しみ方がそもそも歪んでるという見方も有り得そう。

むしろなんで気づいてないのかというか。それともみんな気づいてるんか。

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ドロップの多いジャグリングのステージとは、吃音者の演じる演劇である。
ものすごく腑に落ちるな。

技術ではなく肉体が伝わってしまう、か

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ジャグリングのドロップを演劇の噛みと比較してどうこうと言われたことあるけど、ドロップってミスじゃなくエラー?なのか?

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伊藤亜沙さんのどもりの本を読んでいるが、「連発」はミスではなくエラーだとの表現がある。「コントロールが外れること」ではなく「意識的にコントロールしなくてもうまくいくはずだった連動」が、「うまくいってる状態から外れること」。そして「言葉じゃなく肉体が伝わってしまう」。

「クイズ的知性」みたいな話がもっとあると思ったのに。
近世初期の学者などには一種のクイズ的知性ともいえる「問答的知性」があるように思う。禅の関係と、御伽という職掌ゆえに。

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クイズ企画の時のすこやの怯え方がとても痛々しくて(その事実は)好きじゃないけど(すこや自身を)好きになれるあの感じ、クイズだなぁって思うなど。

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ところでユリイカの「クイズの世界」少し読んだけどあんまり面白くないな、、、。
クイズノックの動画ははじめて色々見て面白かったけど。

クイズの暴力性への言及は面白そうだったが、深くはなかった。

見える範囲内でつつましく考えるというのは、どうやっても「正義」にはならない。
結局米沢穂信的な問題な気がする。

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「全体」や「世界」を放棄した主体はもうかつての「主体」じゃないのはわかるんだけど、じゃあ主体がないのかというとそういうことでもないところがわからない、のか?

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。