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「叙述」というのが、どうも、ごく個人的な作業であって、共同作業というのは難しいということも分かる。
戦後の学問にある「共同研究」という理念自体を本当はちゃんと問う必要がある。

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ジャグリング史を書くことで、出来はともかく、誰も書いていない「通史」を書くという経験ができたのは非常に良かった。
戦前の歴史家の「叙述」の意味が分かる。どうしても、先行する叙述に対する細かい事実の訂正作業ばかりに終始しがちだけど、それでは全く届かない次元の叙述空間みたいなものがあることがわかった。

作品を要請したいわけではない。(叙述って「作品」なのかな?)
あまりに人間とか実存とかと関わりがなさすぎる文章の束はやっぱりしんどい。

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叙述をするということは、対象となる人や時代を描くということで、それを通じて人間理解が深まるのだということなんだと思う。それが人文学ではないのか。
人のことも時代のことも把握できない、単に事実を確定していく作業とは、なに?

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やっぱ歴史叙述がしたいのであって、論文を書くことに興味がもてない。
事実の実証とか叙述の片手間に注とかで済ませれば良いじゃんと思うし、そうしているがどうも「これは論文ではない」みたいなこと言われがち。論文じゃなくても良くない?
戦後すぐの歴史学みたいに、理論をつくるために事実の確定が要請されるなら分かる。理論云々の議論にすごく関心があるわけではないが重要な仕事だと思う。
理論も立てない、叙述もしない、そんな「歴史学」って一体何なのか。

ネットサーフィンと雑なコンテンツ摂取、ついついしてしまうが、結構学びはあって、これしないと感度がどんどん鈍るような気もしつつ、しかしやはり無駄な行為という感もあり、どうしたものか。
なんだかんだ現代人の実存が言葉を通じて感じられる場としてはネットは圧倒的に強いよな。
意外と(?)思想と実存との関係にばかり関心があるのかもしれない。

ズーム会議始まったタイミングで、「みなさま〜」って言いたくなる時あるよね。ないか。

imdkm.com/j-pop-and-rhythm
買った。
ジャグリングとリズムの関係を考えるべきだ、というのがやっぱり最近の直感。

noteとかいう場所に橋本絵莉子くるんだみたいな感じ、かなぁ。
38歳なのかぁ

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気候変動によって夏が喪われる。飛行機雲、青春的な夏がなくなるから青春ヘラ感傷マゾが云々みたいな話もしてておもしろい。
日本では環境問題すら高度にカルチャー化されてしまうのか

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ご飯をかきこむように見るアニメ、みたいな話をしていて、これはこれで、「生活に溶け込んだ〇〇」なんだよな。「生涯アニメ」(?)というか。
というかVの受容、これofこれじゃん、みたいなところはある。

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「志の低いジャグリング」たしかに欲しいな

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。