ジャグラーが「フロアジャグリング」やろうとするとき、「規定」の呪縛から逃れられてないパターンはよくあった印象。逃れる必要があるわけではないが。「規定」の質の拡大と捉えるんだろうな。(勿論本質的にはわたなべひさしの「フロアジャグリング」もそういうことだけど)
規定が狭いので、狭い穴を抜けるための方法が見つけにくく、その方法が「技」として固定化されやすい。
規定が緩いと、穴の抜け方が簡単に見つけられる(その間の体の動かし方・他の道具の扱い方の自由度が高い)ので、「技」を分解しやすい。
規定するというのは、単純に言えば、ある高さである場所にボールを投げたら、地面に落ちるまでのあるタイミングのある場所でキャッチしないといけないという類のこと。
投げない場合でも(ポイとかでも)、一定の規定はあるし、規定が強いほどジャグリングっぽさも出る。
「インターネット」です
https://www.youtube.com/watch?v=wMS0-1IEYuU
今の所ダントツで好き。感情を感じる。リコーダーがいい仕事してそう。ラストのフレーズで「そもそもきりたんが居ないことに今きづいた」ってコメントが流れるのが、歌詞とも合わさって劇的にエモ。
https://www.hailey5cafe.com/
Hailey’5Cafeというネットカフェがすごくてびっくりした。「完全オートロックの個室」の謎おしゃれ空間だった。安いし。
ちなみにこの日記はかなり面白くて、明治二十年の記事では家で女性たちが「狐狗狸戯」をしている様子が記されている。コックリさん。西周は「其動クコト不可思議ナリ」と書いている。
コックリさんはちょうどこの頃流行りだしたらしい。井上円了が同じ年の文章で「コックリのはじめて俗間に行われたるは両三年以来のこと」と書いている。( https://www.aozora.gr.jp/cards/001021/files/49375_40185.html )
円了の文を読むと、当時のコックリさんの様子も分かるが、コインを使うのではなく、竹串と飯櫃の蓋などでやったらしい。
当時、ジャグラー操一( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%93%8D%E4%B8%80 )の名前で活動している奇術士がいて、どうも天一よりも先に名を売っているらしいので、天一に対しても「ジャグラー」と呼んでいるという事情なんだろうか。
厚生館は明治会堂( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E5%A0%82 )のことらしい。3月3日には松旭斎天一の一座が公演を打っている(藤山新太郎『天一一代: 明治のスーパーマジシャン』NTT出版, 2012のp284)ので、それを見に行っているらしい(周本人は行ってないが)。
AIきりたん、何が起こってるんだ
https://suzusime-log.hatenablog.jp/entry/2020/02/22/180306