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視覚・聴覚的な美しさというのは、体感的・刹那的なもので、文脈には依存しない。その意味でながめくらしつが一つの正解を追いかけているのではないかと思う。
一方で、「人類」という究極の前提条件まで遡って、後はかなぐり捨てる、という形で文脈離脱をすすめたのが渡邉尚だと捉えることもできるかもしれない。ホワイテストなんかは、まっさらな状態から舞台上でルール(文脈)をつくりあげて遊ぶという作品ではなかったか。

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このように、技術という文脈依存性から抜け出そうと足掻いて結局別の文脈を引き入れるという経緯は多くの舞台ジャグリングが辿っている可能性があるのではないか。(細かく検討してない)

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池田洋介はこれをかなり自覚的にやっていた。おそらく日本のジャグリングで最初にそこに挑戦したのは池田さんでないかと思う。舞台上にあるもの、そこで起こること以外の文脈を拒否して、無国籍的な作品を作ろうという意思が極度にデザイン化された見た目に帰結しているはず。ただ結局池田さんが世間的に大きく評価されたのはハローグッバイで、つまりビートルズというでかい文脈に依存する形になってしまっている(半ば世界的な古典故に大きな瑕疵には見えないが)。

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技術が評価されるというジャグリングの大会カルチャーから如何に離脱するか。が、舞台ジャグリングの一つの課題だった。
技術的な新しさや凄さは、どうしても舞台の外側でのジャグリングの存在を前提とせざるを得ない。つまり文脈依存的である。舞台の外側の文脈を利用しなければ評価も享受もできない。これに反発して、舞台だけで文脈を完結させようという動きが、「舞台ジャグリング」の主たる潮流となる。

73にした。
動画を複数本紹介しているのは、青木康明と目黒陽介と渡邉尚(とジェイ)だけかな。ウェスを入れるポイントがなかった・・・

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まぁただの再生リストなので、ここでは公開してしまおう。74本・・・多い・・・。
youtube.com/playlist?list=PLy6

本のためにYou Tube動画の再生リストをつくっている。
VRジャグリングとして三珠さくまると丸投まるにも言及してるんだけど、丸投まる、You Tube動画ないから紹介できない!

youtu.be/J181XRiJ6X4?t=5665
ジョン・ギルキー、良き。クラウンの力だ。
こういうなんというか成熟した感じのジャグリングの演技が日本のジャグリングでも出てきて欲しい。己の魅力をよく理解している。色っぽいよね。

前後関係はよくわからないけど、Michael Menesのこういう演技とかを見ると、ちゃんとマイケル・モーションも他の人と同じ時代を生きていることは分かる。
youtube.com/watch?v=LA5cd9tXGM

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しかし、ここにはアニメーション的な想像力が働いていると思うなやはり。

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再生リスト作成中。
youtube.com/watch?v=FX7xruR12Y
Michael Moschen、やっぱあらためて本物の天才だよな。無からこれをつくりだせるってどうなってるんだ。

あてどない(当て所ない)ってなんかすごい言葉だな。
宛て所ない、だともっと強い

JJFCSの「オリジナティ」→「希少性」の変化もやはり示唆的な論点だよな。
舞台上の演技だけで判断しやすいように、開発者かどうか等が全く問われない「希少性」という表現になったとはいえ、「珍しさ」とは結局舞台の外側の状況を含みこまずには評価が不可能。
珍しいから良い、なんてコンセプチュアル・アートみたいな前衛の発想である。普通スポーツにもそんな謎の基準存在しないだろう。

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舞台上の演技のみを観て、演者が主体だの道具が主体だのを論じるという姿勢に疑問があるというべきか。これは、やっぱり「舞台芸術」として捉えていくのとは違う志向だっていうことなのかな。

丸投まるのVRジャグリングを「制限」というキーワードで考える秋田くんのツイートがあったけれど、ああいうのも、従来のジャグリングのデータベースを参照しているからこそうまれるわけで。

「データベース消費的」というとちょっとサブカル批評に擦り寄りすぎなんだが、近いものではあると思う。
こういうジャグラーの見方を採用した時には、道具は実は演者以上に主体として眼差される、ということは、ある?ない?どうかな。微妙。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。