学生の期末レポートに毛が生えたみたいな感想文書いて学術論文です、とか宣っているの本当にどうかと思う。

結局どの分野でもどの時代でも、本当に注目して読むべき・見るべきものはごく少数なんだなと思う。「真理」的な部分にだけ興味がある場合に限るけれど。
(分野自体の流れを把握するにはつまらないものも全部読まなきゃいけない。これはお付き合いとはまた違う。)

Show thread

最近自分が属している学界的なものとか、先達への不満が収まらない。くだらない文章書きすぎだし、くだらないことしすぎ。本当につまらない。同時代的に意義があったともまるで思えない。学生のレポートのほうが全然おもしろいと思う。

超ニッチなんだろうけど、めちゃくちゃおもしろいな。ぎりそういう世界線があってもおかしくない。

「あだ名を襲名してる奴」
youtube.com/watch?v=46YpQtCAGD

人の課題をなぜか勝手に背負う人
その傲慢さと無遠慮さがリーダーの資質

足太ぺんたがVになってる
youtube.com/shorts/LyYJTxsNRZM

踊ってみたの独特のダンス美学おもしろいんだよな

甥がうまれたので、おじさんになりました

道具をビーンバックに限定してつみきねてぃっくやりまくったら、あのパフォーマンスにたどり着き得ると思う、質はともかく。
人への開かれ度もすごいし。
楽譜への接続もあるし。
ポップさもあるし。
改めて大発明だと思う。

動画でよいから再開したい、マジで。

Show thread

山村佑理のパフォーマンスを見て、改めて『つみきねてぃっく』が本当にすごいパッケージだったんだとめちゃくちゃ思った。

普遍性を欠いた言葉というものをそれでも信じたい、その理由をもっと説明できるようになりたい。
既存のジャグリングパフォーマンスへの違和感もここにある。
結局大道芸も舞台もそこまで好かないし、意外と競技が一番良いのは、この問題と関係するんだと思う

Show thread

言葉の力云々というのは、本などを通じて自分がそういうもので育ってきた故ではある。

ただ、やはり言葉というツールは普遍性という点では相当に難があって。まずは同じ言語でないと通じないし、またその言葉の使われる文脈とかを一定共有する必要もある。届く範囲がかなり狭い。
身体や目線などで説得力をもたせるという手法は、そのような知識や文脈を大きく超えうるもので、言葉よりも圧倒的に普遍。

Show thread

目線含め身体的なアプローチで言葉に説得力をもたせるというのは重要で、普遍的だし、時に平等的だと思う。
が、話す時には自分はあまりそれはしたくない。言葉を相手に直接手渡さずに、その場に放っておいて、気になった人には拾ってほしい。
多分身体とかを離れた、言葉の力を信じたいということでもある。タイミングや言葉によっては、全然自分に向けられていないはずの言葉が、ものすごく突き刺さってしまうことがあって、そういう言葉の力を信じたい。

Show thread

ゆーりさんが、それぞれの観客の目を見て話してて良かったとの感想(note)をみて、僕はあんまり観客見ないなと思った

Show thread
Show more
ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。