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JJFCSの「オリジナティ」→「希少性」の変化もやはり示唆的な論点だよな。
舞台上の演技だけで判断しやすいように、開発者かどうか等が全く問われない「希少性」という表現になったとはいえ、「珍しさ」とは結局舞台の外側の状況を含みこまずには評価が不可能。
珍しいから良い、なんてコンセプチュアル・アートみたいな前衛の発想である。普通スポーツにもそんな謎の基準存在しないだろう。

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舞台上の演技のみを観て、演者が主体だの道具が主体だのを論じるという姿勢に疑問があるというべきか。これは、やっぱり「舞台芸術」として捉えていくのとは違う志向だっていうことなのかな。

丸投まるのVRジャグリングを「制限」というキーワードで考える秋田くんのツイートがあったけれど、ああいうのも、従来のジャグリングのデータベースを参照しているからこそうまれるわけで。

「データベース消費的」というとちょっとサブカル批評に擦り寄りすぎなんだが、近いものではあると思う。
こういうジャグラーの見方を採用した時には、道具は実は演者以上に主体として眼差される、ということは、ある?ない?どうかな。微妙。

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思うに、ジャグラーはある演技を見る時に、その演技だけではなく、今まで観てきたジャグリング(道具の扱い方)のデータベースを参照しながら、観ている。
そういう見方は、ここで福井くんが言うような「演者の身体に従属」という見方とは、実は別のものとなっているんじゃないか。

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fukuihirotaka.com/otomodama
おともだまに際しての福井くんのテキスト「ジャグリングに向けてのメモ 」。
「ジャグリングのための物体であっても、日常的な物体であっても、それらは演者の身体に従属し、パフォーマンスに奉仕する道具として振る舞うことしかない。この日見た演目のほとんどがモノを使ったダンスや演劇にしか見えなかったのは、人とモノとの関わりが劇場でよく見るそれと同じだったからだ。アクターは常に一人しかいなかった。」

したてやのサーカスは、似たようなことを言っていると思う

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しかし、「技術」でない方法で物体と関係をもつとはどういうことなのか。わかっているようで全然わからない。

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一方で、「身体」「技術」「道具」の関係に巻き込まれた時、「身体」には何が起こっているのか? ここがいまいち深まってこないポイント。

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「技術」を通じて(つまり物体の「道具」化を通じて)しか迫れない物体の本質というものがあるのか?

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「技術」を通じて人は「物体」に迫ることはできるのか?
ジャグリングの一つの究極の問いはここにある、多分。

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つまり「道具」が存在するためには、「身体」と「技術」が必要。どちらかがぬけているところに「道具」は存在し得ない。

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物体は「技術」によって「道具」となる、っていうことだな。これは。
ごく当たり前だが。

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kinarino.jp/interviews
「キナリノ」インタビュー記事。面白い人がたくさんいそう。

夕書房ってどっかで見たことあるなと思ったら、池田さんの本の出版元じゃないか。

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曽我大穂、CINEMA dub MONKSは音楽的にかなり評価が高いらしく(バルセロナで高評価らしくまさに「世界音楽」的)、ウィキペディアにもわりと詳しい記事があるが、仕立て屋のサーカスには言及がない。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。