「パープルームはアーティストの集団として一般世間に作品を公開するよりも、美術業界に疑問を投げかけ、対決するという形をとる共同体です。日本の進路を見失ったアートシーンに、これから先パープルームがどのように影響していくのか、注目し続けるべきでしょう。」
パープルーム…
「パープルーム美術予備校は、美術家の梅津庸一が立ち上げた美術教育機関、および美術運動です。「予備校」という屋号ですが、実際のところ他の美術予備校と異なり、美術大学の受験を目的にする場ではありません。パープルーム美術予備校は中心人物である梅津庸一および参加しているアーティストの共同の住居であり、予備校生は生活空間と制作スペースの入り混じった雑多な空間で絵画の授業を受けます。その全体として「アーティストコミュニティー」という形をとり、パープルームを中心とした美術運動として新しいアートシーンを作り出すことを目的として活動しているのが「パープルーム美術予備校」という私塾および共同体なのです。」
https://muterium.com/magazine/column/parplume/
https://www.youtube.com/watch?v=It6qqHE8csg
2019/06/11、【パープルームTV】第5回「緊急放送!現代美術における批評の役割について」
https://www.youtube.com/watch?v=q-MR_4IB-LE
椹木野衣による平成の美術の振り返りです。
結局「レジャー」という概念は「ワーク・ライフバランス」的な発想から逃れることができておらず、レジャー=ライフ=ワークという形態を全く想像できないという所に問題があるような気がしてきた。
シリアスだろうがなんだろうが、「レジャー」概念を基にして「趣味」を考えていくのは、結局後退にしかなっていないのではないか。
それは、そもそもそのジャンルとの出会いの問題であり、どんな仲間と出会うかどうかの問題であり、時代のめぐり合わせの問題であり、逃れられなさの問題でもある。
偶然性ともいえるし、必然性ともいえるし、もっと単純に運命ともいえる。業でも性(さが)でもいい。
ブログは西田さんの言いよどみについて。
日本人の劣化云々(誰も責任を取らない、管轄以外のことへ口出しをしない)に対して、どういうスタンスで臨むのか。宮台や東はかんたんにそれを否定し、批判するが、そのような批判はそもそも有効なのか、という感覚は深く同意できる。
ジェンダー問題とかLGBTとかそういうものについては、今後少なくとも今までより正気な方へ向かうことは信頼できるが、責任感の問題などについての絶望感はやはり深いなぁと思う。
原義と多分ズレがあるが、大道芸・路上パフォーマンスと舞台の関係とかまさにこれだなと思うなど。
開かれた場所で作品を上演することが一般に良いとされがちだが、開くためにすごく閉じてしまう、すごく狭い選択肢しか持ち得ない。
閉じられた場所での上演こそが、実は普遍的なものへと開かれていく可能性を有している。
https://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2021/06/04/225007
「インターネットの問題はそのほとんどが数の問題」
「コメントを主体とするサービスは「数の論理」から逃れようがない」
ここでは趣味とは出てきてないけど、近いあたりにある言葉な気がする。こう思うと、「趣味」って言葉は偏見まみれだなぁ。
そこをひっくり返すためにあえて「趣味」を肯定的に拡大解釈して使っていこう、あえて誤用しよう、っていう関心が「趣味縁」とかにはあった気がするんだけどな。あの本にはそういう活力がないような。
やむを得ず選ばされている、にも関わらず、好きでやってる「趣味」だと周囲に理解されるという事例。(セレブバイトってなに?)
https://twitter.com/my_my_me_mine/status/1400608986622091266?s=19
なるほど、こうやって話題に乗っかっていくのか。
https://twitter.com/keisukeyuki87/status/1400387120020160515?s=19