距離がはかれなくて暴発してるタイプはまだ理解できて、昔はそういうのが多かったイメージ。最近のは暴発でもなんでもなくて、通常運転なのに事故起こしまくってる人らが山ほどいる感じだ。
@miyamonz Twitterでもそのパロだとして盛り上がってるのを見たな。内容はあんまり関係ないんだ?タイトルだけの借用なのかな。
「先日その従兄弟が、本が読めるようになって自分には未来と過去ができた、と言っていた。かつてやんちゃだった時期には、自分には現在しかなくて、ただそのときだけで行動していて、何も計画性がなかったという。読書をするようになって、計画ができるようになった。生活を組み立てるようになった。前のことをふまえ、先のことを考えるようになった。これは本当に大きな違いで、だから、刑務所に入った人にはとにかく本を読ませるべきだと思う、と言っていた。他の何より読書が効果があるだろうと。」
「いい話だなあ、と思った。だが、従兄弟はまた、僕と話が合うようになっていく過程で、地元のマイルドヤンキー的な友達の中で浮いてしまい、乗れなくなっていった寂しさもときどき語る。」
https://note.com/masayachiba/n/n5d3842b9c9b5
『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける! 世界の感触を取り戻すために』
https://www.chiisago.jp/books/?code=9784909782069
つよい。
広瀬 浩二郎(ひろせ・こうじろう)
自称「座頭市流フィールドワーカー」。
1967年、東京都生まれ。13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学。2000年、同大学院にて文学博士号取得。専門は日本宗教史、触文化論。01年より国立民族学博物館に勤務。
現在はグローバル現象研究部・准教授。「ユニバーサル・ミュージアム」(誰もが楽しめる博物館)の実践的研究に取り組み、“さわる”をテーマとする各種イベントを全国で企画・実施している。
『障害者の宗教民俗学』『目に見えない世界を歩く』『触常者として生きる』『さわって楽しむ博物館』(編著)『知のスイッチ』(共編著)など、著書多数。
動画での議論。
プレイヤーの組み合わせで結論が見えてしまっている。
意外なことを意外な人がいうと叩かれる風潮が、美術をだめにしている、云々。
批評が機能していないと美術のルールが全く見えなくなる。「大人の都合」だけになる。
知的なものが運動するものが現代美術。云々。