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「会議」を歴史化しようみたいな論文もあって非常におもしろい。
ci.nii.ac.jp/naid/120007030181

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明六社は、とてもすごい。立志社とか国会期成同盟とか板垣まわりのはどうしようもない。という論文を読んでそうね、、、って気持ちになるなど。
質(明六社)が数(立志社)に蹂躙され駆逐され貶められる話。やりきれない。
ci.nii.ac.jp/naid/120005406034

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結局どう考えてもエリート主義以外にないと思う

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国民国家が嫌いなのは、ナショナリズムが嫌なんではなくて、実は民主主義という数の論理が嫌だという可能性がなくはない。
しかし帝国議会の時点で相当に数の論理でしかないので遡るならもう明治ゼロ年代しか存在しない。結局そもそも日清戦争も、経済的にも政治的にも数の論理によって駆動している。

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資本がだめっていうよりも、数の論理が全部だめなんだよなぁ

なんかあえて団体じゃなくて「サークル」を作りたくなってきたな

youtu.be/l9PxgOoZDrQ
めちゃおもしろいな。
SASUKE、ポストスポーツかつポストサーカスじゃん

近世文学会でシンポジウム「​〈見せる/魅せる〉近世文学」を聞いている。
美術館の展示って事前にちゃんと図面つくるのか、知らなかった。
kinseibungakukai.wixsite.com/t

てんどんまんとかってちんどん屋なのか

teramat.hatenablog.com/entry/2
「趣味」について考えようという志向自体が、現代の男性か置かれた境遇と関係する、のか、、、?

だから自己啓発本的な文化で重要なのは、内容ではなくて(そこには多分大した独自性はない)、「自己啓発」と題して憚らないその形式なんだろうと思う。
あれが一種の「文化」となっているのは不思議な感じもするし、書物文化の本流な感じもするし、なんにせよ興味深いよなぁ。
ただ、実際にはビジネス業界の「著名人」たちの逸話集みたいな感じも強いんだろうなぁ。

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音楽や物語に乗せていたら許せるけれど、ただただむき出しの自己啓発は端的に言って「気持ち悪い」感じがするというか。その開き直りはしてはいけなくないですか、みたいな。むしろ保守的な感じもする。
文明ー野蛮的な構図で自分を文明に置いているという類のよくある構図でもあるか。

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JPOPってある種の自己啓発的機能を確実に持っているよな。とかback numberを聞きながら考える。ラップとかもほぼ同様か。

むしろこういうものをむき出しの「自己啓発本」とか「歴史本」でしか享受できない精神への違和感とか軽蔑とかが「文化系」にはあるよな。「むき出し性」的なものへの嫌悪感。
小説や批評やアニメ漫画を自己啓発的に見るのも同じように、包み隠しているタイプ。You Tubeとかエンタメ類とかは両者のあわいかも。Twitterもだろうか。

davitrice.hatenadiary.jp/entry
読書会の負の影響について。
やはりテキストをどこまで重視できるかということなんだろう

うまくまわるならすごいの意。自分で運営したくはない

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。