実践的に読むならば、
学(science)と術(art)を区別して並べているのが面白いところ。どちらも真理探求ではあるが、前者は知識のための探求、後者は制作のための探求。
今日言ういわゆる芸術は西の体系の中でどこにあったのか気になる。
學/術と實/觀。裏表紙にも出ている西の図が印象的。/「道の思想史」という発想が面白かった。術もmethodも道に関係する言葉。そもそも道は文明のどの段階で生まれる言葉なんだ。/西のメモの仕方のあたりも面白い。横書き漢文。/positive(陽)とnegative(陰)を積極と消極と訳すのはやはり少し違うような気も読んでいるとしてくる。「知を連関として捉える」という意味でも失うものの多い訳ではなかろうか。
西周の『百學連環』総論(明治三年)の精読講義。「現代における学術の全域を捉えなおすためのよすがとして」。ウェブ連載( https://bit.ly/37Bj8eA )の改稿。/読解・探索の過程を楽しみつつそれを共有していく。テキストには和漢欧の文脈が混じり合っていて、読み解きは少し欧文脈寄りではある。当時はそうだった、と納得してしまわず今の頭で考える部分も多数あり、実践的な読書。
ゾロアスター教・マニ教の章のインパクトが物凄い。/インドの仏教について哲学的な言及が少ない印象はあるんだが、続刊で補われるんだろうか/古代の色々な哲学的思索を並べられると、あらためて近代科学が異様に思えてくる。続刊に期待。
ちくま新書の「世界哲学史」シリーズ8巻中の2巻目(2020年になってから毎月出る)。
前1世紀~6世紀。「善悪と超越をテーマに」。各宗教・伝統の「古典」の成立の問い直しを行っている部分が納富さんの議論とも呼応していて興味深い。特に「キリスト教のギリシア化」(福音書がギリシア語で書かれるという言語的ねじれ)、大乗仏教成立における教団と経典の先後問題など。どの章も文化間の相互交流が描かれており非常に面白い巻だった。
「ここもまた誰かの故郷氷水」神野紗希
俳句には一瞬の動きが封じ込められていて、観念的にジャグリングの表現を見てしまうとあんまり違いが見つからなくなったりする。この句は夏の旅先、目的地でもなんでもない場所で、ふと買った氷水を飲んだ瞬間。
俳句の話に読める。俳句みたいな文字とイメージのみのものとジャグリングが表現としてどう異なっているのか、気になる。
https://juggling-mstdn.net/@mimizu123/103677921667846849