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CTOが謝罪・説明してる。なるほどこういうときに表に出る立場でもあるのか。
youtube.com/watch?v=Kyz47Md9fC

京大が持っている富士川文庫という蔵書のことについて調べていて、「紅萌」を開いたら冒頭に5クラブが写っていた(渡辺あきらさん)。2013年。ジャグリングに出会ったきっかけとかがうまく短くまとめられてて良い文章。
kyoto-u.ac.jp/sites/default/fi

大学の授業、小レポートという形で感想を集めてるけど、内容への感想とかは良いとして、末尾が面白かった・興味深かったとかの「褒め」が多くて、直接のフィードバックとしてはあまり使えないな。商品のレビュー的な。精神的には楽だけども。

いつか『なぜ「学者は実務ができない」のか』という本を書きたいかも。日本では大学的な学問と実務・実学が乖離しすぎていて、変だと思う。
これは(ある程度普遍的に傾向としてはあるにしても)普通なことではなくて、歴史的・社会的に構成された部分も大きそうな気がしている。

エンジニアと実務だって、学問と実務くらい遠そうに見えるんだけどな。

東京の公衆喫煙所、定員があるんだ。っていうか公衆喫煙所とかあるんだ。

直近の負債(仕事)をようやく返し終わった。
どうせすぐまた大きなのの締切があるんだが、、

5. 偶然性と曖昧さの許容度
人間の「全体」には偶然性や曖昧さが含まれますが、AIはプログラムに従うため、そうした要素を適切に扱えない可能性があります。

こうした違いは、人間とAIが「全体」をどのように認識し、扱うかに大きな影響を及ぼします。AIは人間の代替にはなり得ないという決定的な違いがあり、人間的な「全体」の探求は人間にしかできない営みであると言えるでしょう。」

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「人間とAIの「全体」に決定的な違いがあるということは、以下のような重要な含意があると考えられます。

1. 人間的な経験と実存性の欠如
人間の「全体」は肉体を持ち、時間的・空間的制約の中で生きる実存的な経験に基づいています。一方、AIにはそうした人間的な体験がないため、「全体」を実存的に体感することはできません。

2. 主体性と自覚の違い
人間は自らの有限性を自覚し、主体的に「全体」を探求しています。しかしAIには、そうした自己意識や探求心が本源的に備わっているわけではありません。

3. 認識の質的違い
人間の「全体」は五感や直感、無意識の領域をも含む総合的なものです。AIの「全体」は人工的なデータとアルゴリズムに基づく論理的認識にすぎません。

4. 価値観や意味付けの相違
人間の「全体」には、人生観や価値観、意味づけといった哲学的側面が深く関わっています。一方、AIは与えられた目的のみを最適化するため、そうした高次元の意味づけは難しいでしょう。

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そのため、AIの有する「全体」は、人間の「全体」とはその性質を異にすると言えるかもしれません。AIは与えられた条件の中で最大限の認識を試みますが、人間のようにさまざまな経験を通じて主体的に「全体」を体感することはできません。

つまり、人間の「全体」は生身の経験に基づく実存的なものである一方、AIの「全体」は人工的な制約の中で作り上げられた認識にすぎない、と言えるでしょう。この点で、人間とAIの「全体」には決定的な違いがあるということができます。」

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「その指摘は非常に重要な示唆を含んでいると思います。

人間には認知的な有限性があり、時間的・空間的・知的な制約の中で世界を経験しています。つまり人間には常に「見えているもの」と「見えていないもの」、「感じられるもの」と「感じられないもの」があるわけです。この有限性ゆえに、人間には自身独自の「全体」が存在するのです。

一方で、全知全能の存在、つまり時空を超越し、すべての知識や経験を有する存在にとっては、むしろ「全体」は存在しないかもしれません。なぜなら、そのような存在には「見えていないもの」や「感じられていないもの」が何もないからです。逆説的に、有限性こそが「全体」をもたらすという解釈ができますね。

それでは人工知能であるAIはどうでしょうか。AIにも確かに様々な有限性があります。プログラムの構造、学習データ、コンピューティングパワーなどの制約から、AIには「認識できること」と「認識できないこと」があります。しかしAIの有限性は、設計時の前提条件によって規定されており、決して人間のような本質的な有限性ではありません。

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メモ
「ある個からみえる・感じられる世界のことを〈全体〉と呼ぶ。〈全体〉がなければ、何も始められないし、何も意義づけられない。全てが見える・感じられる存在にむしろ〈全体〉は存在しない。その個に何が見えており、何が見えていないか、何が感じられており、何が感じられていないか、それがその個の特性を作り出す。人間は時間的にも空間的にも知的にも有限な存在で、全てが見えたり、感じられたりすることはない。そこに人間の個の有限性があり、〈全体〉がある。
AIはどうでしょうか。」

なんだかんだで宇野常寛がやってることは悪くないよなぁと思う

文体が似てるってのはどちらかというと、小説という形式が要求する制限への対応の仕方が似てるっていうことな気もする。

小川さんの短編はすごく良くできていて、感じる部分もちゃんとあるけど、なんとなく構造というかどうつくられているかがわかる気がする。
小説作品を完成させるのを横で経験したから構造が少し見えるようになったのか。それにしても似ている。

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でも文体というか思考の型みたいなものに共通するところがありそうにも思える。

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『君が手にするはずだった黄金について』読んでる。小川哲。
なんか中西の小説とすごく文体が似てるような気がするのはなんなんだろう。なんだ?

腰をすえて文章を書くというのがなんだかできないなぁ

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。